「イッセイの塩」という香水から、ほんものの贅沢について考えてみた
香り高い霧
9月初めのある日、六本木の東京ミッドタウンの近くを歩いていた。ふと見ると、21_21 DESIGN SIGHTの近くで白い霧のようなものが噴出していて、人が集まっている。思わず近くまで行ってみた。
白い気体は、ギャラリー3の前にしつらえられた白い長大な箱から定期的に噴霧されていた。9月と思えない暑さのなか、ひんやりしたミストで涼を感じることができた。ミストからはすばらしい香りが立ちあがり、まわりにいる人たちはみな笑顔だ。
噴霧されていたのは三宅一生の新しい香水「ISSEY MIYAKE LE SEL D’ISSEY」なのだという。なんて贅沢なんだろうか。
霧の正体は吉岡徳仁による香りを視覚化するインスタレーションであり、「ル セル ディッセイ」の発売を記念した展覧会のメイン作品だった。
訳すと「イッセイの塩」。三宅が「水」の香りをコンセプトにした「ロードゥ イッセイ」、つまり「イッセイの水」を発表したのは1994年。それから30年を経た最新かつ最後の香水のコンセプトは「塩」である。
塩と香水のイメージは簡単につながらない。香水に塩の要素を取り入れるのは斬新な試みだ。
だが、30年前に三宅一生が「水」を香水の世界に持ち込んだ時は、もっとセンセーショナルに受け止められたことだろう。
水の香水
水は生命の源であり、無限の可能性を秘めているという哲学的なアプローチから構想された「ロードゥ イッセイ」は、その発想そのものが革新的だった。
当時の香水業界で主流だった官能的な香りに逆らう、シンプルな香り。当たり前とされていた金や曲線の装飾を排したボトルデザイン。そして「イッセイの水」というネーミング自体が強力なオリジナリティをもっていた。
現在、シンプルな香りとボトルデザイン、ファッションブランドやデザイナーの名前を冠した香水、香水を単なる商品ではなくアートプロジェクトとして捉える視点は当たり前のものになっている。「ロードゥ イッセイ」が香水の世界に与えた影響はとても大きい。
身の回りのものごとや芸術作品、あらゆるものからインスピレーションを得て衣服をデザインした三宅だが、香水に関しては自然の要素に限定していたようだ。
まず、水。過去には「火」もあったが、現在は作られていない。次は何だろう? 回答を見つけるのは、かなり難しかったのではないだろうか。あまりにも「水」のコンセプトが完璧だったので。
塩の香水
そして発表された「塩」というコンセプト。そのインパクトは水以上かもしれない。塩の味わいは、香水がもつ「甘さ」のイメージとまったくことなるからだ。けれども、このふたつには人間の生命にとって欠かせないものであるという共通点もある。
塩にはさまざまなイメージの連想がある。
海。
浄化。
古来から保存に使われていたこと。
味覚。
幾何学的な結晶構造。
人体に不可欠な要素。
塩の道、交易の歴史。
多くの文化での浄化や祝福の象徴……などなど。
多くのイメージをはらみながら、塩そのものは無臭だ。「イッセイの塩」を担当した調香師のプレッシャーは並大抵のものではなかっただろうが、「海と大地の対話」という解釈で見事なソリューションを導き出していた。複雑でありながら軽快で、スパイシーでいきいきとしたジェンダーレスな香りだ。
現代のラグジュアリーに求められるものとは
霧に驚き、その香りを嗅いだ私は、ボトルのデザインサンプルやイメージ映像などが並ぶギャラリー3の展示を見てからミッドタウンを後にした。自分でもわけがわからないのだが、香水のことが頭から離れなくなっていた。
私はふだん、家族にプレゼントされた香水を少しだけつけている。付け忘れる日も多く、香水にさほどこだわりがあるとは言えない。自分にとって心地よい香りであれば満足で、つねに新しいものを探しているわけでもない。
それなのに「塩の香水」が気になる。そもそも香水とはなんだろうなどと、答えのない問いを考えている。
ふと思い出して、知人がおすすめよと言っていた本を読んでみた。『マチルド・ローランの調香術 香水を感じるための13章』だ。
著者はゲランで著名な調香師の右腕として活躍し、2005年からカルティエの専属調香師に就任。自らの経歴や仕事について論理的かつ情熱的に綴られた本書は、きっぱりと自らの考えを述べる書きぶりが清々しい。
たとえば彼女は、古代ローマ時代に自然と人間の関係を探究して書かれた『博物誌』から香水の誕生について推察している。
『博物誌』に書かれた絵画の誕生の神話は、陶工のブータデスの娘が異国に旅立つ恋人の姿を思い出にとっておくために、壁に映った影を粘土で縁取ったことだ。
三宅一生が香水のインスピレーションを自然に求めたのは、まったく正しかったのだ。私たちが生きている現在、香水はもはや権力者の特権ではないが、自然との結びつきは失われている。それを取り戻すことは、香水を私たちが生きる環境と生活に再接続することになるだろう。
そして、マチルド・ローランは書く。
大理石や金といった素材はラグジュアリーの一部であってもすべてではない。金ぴかなだけでは優雅ではないから。
それよりも創造性の存在とその質が、これからのラグジュアリーに問われている。
デザインには希望がある
デザインは驚きと喜びを人々に届ける仕事である
三宅一生の傍らにはいつもこの言葉があったそうだ。
香水の創造は、三宅一生のデザインの仕事とぴったり合致している。
この本のおかげで私のもやもやした頭はすっきりした。東京ミッドタウンの霧は、ほんものの贅沢だったのだ。