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「デザインはみんなのも(仮)」デザイン活動をしていこう(読了)

本を読みながら感想文シリーズ

やっと読み終えました。たかだか200ページちょっとの本ですが^^
久しぶりに強く影響を受けた本でした。

第4章ではプロジェクト中心の民主主義という概念が語られています。変化が速く多様な時代・・・変化が速いのは技術益な影響が大きく、多様性については人々の要望でしょうか・・・には、デザイン思考を活用した斬新的に一つ一つの課題を解決していくコミュニティを、関係者による話し合いで運営していく、というようなことです。そういうローカルなコミュニティがいっぱいある感じ。

で、そこでは「デザイン」が活躍をすると。
でも、「デザイン」は専門家のもののような感じになっている。
「デザイン」をみんなのものにしないといけない。

そうだ。
神戸市って「デザイン都市」だったはず。

今まで遠目で見ていたけど、なんとありがたいことに、行政が取り組んでいるじゃないか。

この本でもたびたび自治体についてふれられている。この要素がどういうレベルであるのかわからないけど、神戸市のこのデザインは市民に開かれたデザインを目指しているように見える。もっと調べてみよう。

そして、

ただし、プロジェクト中心民主主義を実現するためには、適切なインフラストラクチャを整備するだけでは不十分であり、たくさんの人々にデザイン能力が広く普及することが求められる。(P198)

これですよ。
デザイン能力を広く普及させる!

なかなかテーマとしては面白いと言いますか、たぶん、これをしないと始まらない。これ本を書いたエツィオさんはイタリアの方。市民のデザインへの理解が最も深い国の一つ。そのエツィオさんをもってしてそういうなら。

やるしかないでしょ。
こんな楽しいことが社会の役に立つのなら!

一冊の本を読んで、夢までできるとは。

この本で、とても交換を持てたのが、無用な抽象化が少ないことですね。簡易な概念に集約させて、マトリクスみたいなのとか「ほにゃらら×ほにゃらら」みたいな表現にするとか。

そういう抽象化は、邪魔なんじゃないかな。
デザイナーの意図としては、実は曖昧化で、複雑な問題にかりそめの像をあたえて、細部をぼかしたままなんとなくわかるようにする、偶像崇拝のようなものだと思うんです。

その点は訳者の方も素晴らしいのだと思います。
あとがきで、著者の一人称を「私」にするか「ぼく」にするかで、かなり悩んで、イタリアの大学の著者自身を知る人にヒアリングまでして決めたとありました。まさにデザイン的の仕事で、そういうことが細部にわたっていて、ずーっとエツィオさんの講演を聞いているような感じで読み進められました。

っと、過去の発現がほりくり出されやすい恐ろしいご時世に、ブーメランの素を書いてしまった。
いつか、誰かに穿り出されるくらい、目立てるといいのですが。。。

というわけで、
わたくし的にはとても強く影響を受けた一冊でした。

次は上平崇仁さんの「コ・デザイン デザインすることをみんなの手に」です。

その次、もう一度エツィオさんに戻って「Design, When Everybody Designs」を読みたいが、英語しかない。。。。

安西先生!
Design, When Everybody Designs も読みたいです!!

とりあえず、訳者あとがきで紹介されていた「突破するデザイン あふれるビジョンから最高のヒットをつくる」をポチっておこう。


写真は毎度unsplashでした。


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CavyCraft(佐々木堅次)
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