見知らぬ人との短い出逢いは、場のコミュニティを作るのに寄与する
これよんでま。
ふと、先日のnoteの対談を思い出した。
・・・多様な理由から移動する人の数は増えている。その結果、未知の人との出逢いとその出会いの継続は短期的である。このことを社会の新しい標準と考えないといけないのである。(P60)
「軽さ」と表現されている、希薄な人間関係。その価値について語られているのですが、ちょうどこの対談での地域の住民と、訪れる人との関係性の価値にあたるのかなと思いました。
方や動けない「重さ」と、方や動き回る「軽さ」が編み出すコミュニティ。多分、立場が変われば、軽い人は常に軽いわけではなく、場合によっては軽くない状況もあるに違いない。
ずっと軽い人もいるに違いない。
ずっと重い人もいるに違いない。
変化し続けることがボジティブなことだという事で、ずっと議論し続け、ずっと対応し続けるという事こそが理想形だってこと。
それそのものが安定性? と言っていいのかどうかわからないけど。
僕の中で、変質することがどうにも整理できなかった。
古民家は、残り香のようなものだと思っていた。
だからあまり、古民家にまつわるあれこれは好きになれなかった。
でもそれは、タダのないものねだりで、コミュニティの本質に反する、というわけだ。今日的な在り方を見出すことこそ、今日的なコミュニティがとりえる最善手って、そりゃあたりまえかw
軽さか。。。
多様でいられるってことは、タガがもうないってことで、そのタガを構造の骨格としていたような関係性はどうにもならないってことですわな。
もっと向こうへ。
は、他に手がない、ということなのかも。
やっと第一章終了
次から第二章突入です。
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