やわらか頭ちゃいますねん
本を読み進めながら感想書いてます。
第3章「日々の生活の政治:デザイン行動主義と変化のある常態」を読んでいます。
この章では日々の生活での選択が社会常識を変えていくみたいな話が書かれています。社会問題を解決する新しい発想が、日々の生活の中で生まれていく、多分今日では日本でもあちこちで見られるようになった取り組みについてです。
最初からゴールをガチガチに決めるのではなく、デザインしながら作っていくという、このデザインっていうのが、我々デザイナーが使っているデザインなので、ほぅほぅと思いながら読んでいたのですが・・・
経験が教えるところでは、成功する最初のアイデアとは進化し変貌するものである。実のところ、社会的な意味に関して言うと、アイデアに最初にあった何らかの特徴は維持するかもしれない。だが、それは単なる可能性の一つに過ぎない。当たり前にあるとみなすことはできないのだ。むしろ、コンスタントに注意しながらデザインを繰り返すことや、一歩一歩前提を吟味し直すといったことなしにイノベーションの方向を決めるのが、今日最もやりやすいだろうと思われている節がある。生産効率の名のもとに、活動の出発点に合った社会的価値を帳消しにしたり、骨抜きにしてしまうのだ。(p143)
こ、これは。。。
デザインを繰り返す。
前提を吟味し直す。
だと?
意味は分かる。多分、おおよそ理解していると思う。
でも、それってすごい難しいことなのでは。
いや、そのつもりでがっつり取り組まないと、そうはならない。
これは、とっても重要なところ、根本のところで考える問題だ。
デザインを繰り返すと、デザインは完成しなくなる。
常に未完成という状態だ。
というか、完成の概念が違う。
いや、デザインの概念も違うのかもしれない。
植物の成長のようなものだろうか。
おなじ種類を並べて育てても、おなじ形には成長しないというような。
マーブルチョコレートの色の様に、味と関係ない要素がカラフルに並んで、味はチョコレートだけど、見た目は全く違うものになるとか。
逆に、同じ色のチョコレートだけど、甘さや苦さが違うとか。
そういうことだろうか。
どこに変数を持たせるにしても、それが変数だという共通認識は必要だと思う。そういう基本設計のようなデザインがあって、と思ったんだけど、これって前提条件の部分なので、もうちょっと違って、おなじ植物ではなく違う植物、チョコレートではなくてクッキーという選択肢も入ってくるのかもしれない。
いや、そもそも植物ではなくなるのかもしれない。お菓子ではなくなるのかもしれない。そりゃそうだ。課題がいつまでも課題であり続けたら、多分それはうまくいっていない。
課題が解決してしまったら、前提条件が変わる。
ものすごくあたりまえじゃないか。
僕はデザインという言葉をきちんと定義できていないかもですね。いや、デザインという言葉が変わっていってもいいという事なんだろう。
頭が固い。
酢でも飲もかな。
画像はまいどUnsplashでいただきました。
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