「コミュニティとは話し合いが織りなす網」だと!?
このノートは「日々の政治 ソーシャルイノベーションをもたらすデザイン文化」を読み進めがら書いています。
まだ第一章の途中です。
前回から10Pくらいしか進んでいません。
知らない用語がいっぱいで、背伸びして読んでいる状態ですw
わたくし的には一ページ一ページが発見で、遅々として進みません。
で表題の「コミュニティとは話し合いが織りなす網」。
よくわからずに使っていた社会とかコミュニティっていう言葉に、僕はしくみとか制度とか慣習、共通の関心、中心人物など、とにかくコアになる要素があって、それら重力になって人々を吸い寄せているようなイメージを持っていました。
一応ウェブ屋さんというネットワークに関わる仕事をしているので、人のつながりで網のイメージは持っているのですが、古い考えといいますか、事象ありき、状態ありき、場所ありき・・・なんでもいいですが、そういうものがベースになっていると。
プラットフォームは利便性を図るもので、それが物理的限界を超えるので新しいコミュニティができる、くらいに思っていました。
でも「話し合いが織りなす網」!
これですよ。
だから脆くて、だから強くて、自由で、束縛されて、翻弄されて、成し遂げて、と、いろいろが生まれる。
こう考えると、コミュニティをデザインする時、会話をどうデザインするかがめちゃくちゃ重要だとわかる。
だからプラットフォームが重要になってくる。
この順番だったんだ。
意思表示の大切さですよね。
小さなことでも意思表示することで、それがサンゴの卵のように、いつかやがて大きなサンゴ礁になるかもしれない。
それを育てるのも会話。
会話がなければ何も始まらない。
会話でダメになることもあるだろうけど、会話がなくなってもダメになる。
あれ、なんか今、熟年夫婦のイメージが浮かんだわ^^;
で、これはこの章のメインテーマではないんです。
別にこの章では会話について書かれているわけではありません。
この章では現代のコミュニティーの特徴について書かれています。
その中の一文に食いついているだけです。
「開放性」という項目のなかで、社会形態について書かれている部分の一節です。
でもこの会話っているイメージ。
コミュニティが生まれ、広がり、つながり、変化し、そして役目を終えていいったり、また別のところに分散吸収されていったりといった、今ならではの在り方の、リアルな像だと思ったんです。
いまのコミュニティの実像は、会話だと。
会話の連続だと。
けして箱庭のジオラマじゃないんだってことですよね。
盆栽でもなければ、ショーケースでもないんです。
現在進行形の会話がエナジーそのもので、その瞬間のパッションが実態そのものなんだと。逆かな。例え下手かな。どっちでもいいかw
僕にかけていた視点なのでビビビッと来ただけかもしれないですが、他にも感想言いたいポイント一杯あるんですけど、今日はそこでした。
このペースで一体いつ読み終わるのだろう。
※ちなみに写真はunsplashから頂いています。
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