同調圧はじゃまになる?
これを読んでの感想です。
まだ2章「ライフプロジェクト:自律とコラボレーション」です。
「コラボレーション」という節で共同住宅プロジェクトを例にとって話が進められている。多分、シェアハウスとかそういうのの走りだと思う。参加者がつどい、どのような運営をするか決めていったというような話。
テレビで和歌山の田舎にあるニートのシェアハウスが紹介されていあのを見たことがある。
ぼくが見たのはもっと前なのですが、多分ここです。
ここの運営についてルールは特にないと書かれています。一人ひとりがそれに参加しないとそもそも成り立たないですし、何らかの価値観を共有しているんだと思います。
それが地域のもとからあったコミュニティーと関係を持って行って、多分、当初想定していたのと違う意味もいろいろ生まれているんだと思います。
で、僕は「自律的」という言葉の意味がよくわかってないなと思いました。
ちょっと今まで誤解して読んでいたかも。自律した個が集まった自律したコミュニティ、ということでいいんですよね。
西野さんのオンラインサロンはどうだろう。
場はあるけど自分の意思で参加して、自分の意思で退会できる。
同調圧は多少あるだろう。
ルールはいろいろある。
運営側にある程度の強制権もある。
多分、その中で生まれているコミュニティもいろいろある。
コミュニティとしてかかわっている例もある。
プロジェクト単位で行われていることもあれば、人ありきで行われていることもある。
BNIはどうだろう。
※BNIは地域密着型の異業種交流会のプラットフォームです。
そもそも、かなりしっかりした運営ルールがある。だが、参加者は自分の意思で参加して、自分の意思で退会できる。
ですが、ルールはメンバーが決める、という事になっているが、直接接するコミュニティー(20-100名)単位で決められるローカルルールと、BNI全体で定めるグランドルールがあって、半自律という感じです。
とはいえ、細かな運営上の決め事はメンバーが話し合って決める。
ここでも、メンバーが自律して考えることは、運営を持続性という観点はとても重要。
だれか一部のメンバーが強力なリーダーシップを発揮して運営しているグループはトラブルを抱えやすい傾向になると思う。仕組み的に自由に離脱できる以上、組織は脆い。いやになればやめればいいわけだから。
この観点からも、自律的に集まったグループって、本質的に脆いんだと思う。だから、話し合いがとても重要になる。デザイナーが話し合いで同じことに長い時間関心を持ち続けるイメージがないのですがw、それは既存の考え方のデザイナーで、デザイン能力は誰にでもあるという意味のデザイナーではないと思いたいです。
だから同調圧では限界があって、察してほしい、ということではなりたたない。ちゃんと意見を出して、そして議論して、決めてということをしないといけない。
話し合いをデザインするのがとても重要に違いない。
同調圧では限界があるに違いない。
写真はUnsplashでいただきました。