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人間のデザインって生殖器ない方が美しくね?
今思うのは、生産性のある趣味が偉いとは思えないという事。昔の自分ならそこに大きな隔たりを作っていて生産側の肩を持っていたけど、今は。
今は只のザコオタクとして無意味とも言えるコレクションと消費の日々に興じる。
そんな自分に愛しみすら感じる。
若さに燃えてた昨日までの僕は楽しいことをしたいだけだったけど、今は緩やかにつまんなくないを続けていたいと思う。
楽しいは割と疲れる。
つまんないのキックバックも痛い。
人にもあまり会いたくない。
友人だってそう。
この子供部屋という城と地元という境界を越えるときにもアタシは孤独であり、孤高であると、あったと、誓えるほどに、ここではそうなのだから。
自分が世に放つ言葉も、見聞も不要なのかもしれないとすら感じてしまう。
SNSはやめた。
作品を見に足を運ぶけど、感想を忘れないためにノートやFilmarksに綴るけど、見返りを求めていないし、人との交流も欲しいとは思えない。
たまに自分の下半身の加虐性に支配されそうになる、人恋しさに負けそうになる、けど、カラ回しでどうとでもなる。
本当に他人がくだらなく見えてきた。
人が作った作品そのもののアウラにありがたみを感じ始めている。
フィクションの中のあなたが好きで、画面を超えて実在するあなたにはまるで興味がないアタシです。
lainが好きだが岩倉玲音には興味がないのかもしれない。