カメラ好き未満
高校生の頃、学生カバンには必ず使い捨てカメラが入っていた。はい、ポケベル世代です。毎朝公衆電話に寄り、登校すれば会える友人へわざわざメッセージを送る。「156185」で「おはよ」。上野あたりの「自称イラン人のテレホンカード」を教室で売りさばく同級生。時には公衆電話に吸い込まれ、大音量の警報が鳴りまくる…懐かしい記憶をメモしておきたい。閑話休題、私が使い捨てカメラを持ち歩き始めた時代はそんな風情でした。携帯電話が当たり前になっても、内臓カメラの性能が上がってくるまでは、特に海外旅行の時などで愛用していた。
使い捨てカメラから、フイルムの一眼レフを持つようになったのは社会人になってから。当時デジタルカメラの性能も上がってはいたけれど、プリントするのは面白くなかった。何故だろう。使い捨てカメラが良くて、デジカメがだめ。まさかフイルムの枚数制限が作用してる?なんて考えたりもしたけれど、私の写真好きはガチのカメラ好きには及ばず技術を持ち合わせていない。だって全部オートで撮るもん。カメラのダイヤルは基本回さない。というか回せない。「カメラお詳しいんですね」なんて言われると、謝りたくなるレベルであることを知ってこの後を読んで欲しい。
私が薄給をぶち込み、念願のデジタル一眼レフと望遠レンズを手に入れたのは20代後半の頃だった。前の記事にも書いた、一人旅へ出る直前の2005年4月。カメラを覚えたいとか腕を上げたいと言う気持ちでなく、ただ単に綺麗な写真を撮りたい。お高い趣味に足を突っ込んでしまったが、悔いはなかった。お陰で枚数を重ねる事で好みのアングルが撮れるようになり、被写体との距離感とか接し方などを覚えた。相変わらずダイヤルを使いこすことはなかった。いや、本当にごめんなさい、誰に?
写真を撮っていて、とても良かったのが結婚式の参列。望遠レンズは披露宴会場の一番後ろの席からでも、新郎新婦を射抜ける。20代後半はこれで、少し気後れする結婚式ラッシュを乗り切ったとも言える。友人の結婚はとても嬉しい反面、自分の心は乱れる。時にはぽきっと折れるのが乙女心ですよ。しかしカメラがあれば強かった。撮影しながらコミュニケーションを取れば、自然と純粋なお祝いの気持ちで満たされる。その日の空気を丸ごと写真に納めて、最短で新郎新婦へお渡しする。下手くそなぶれぶれ写真でも大変喜ばれた。ある新婦の御母上からお手紙を頂いた時は驚いたけれど、励みになった。
時を経て今はスマートフォンのカメラで日々の生活を楽しく記録している。そう、記録なのよ写真は!当たり前の事を恥ずかしげもなく書く自分が怖い。一時は一眼レフをぶら下げた偽りのカメラ女子だったけれど、今はスマートフォンをぶら下げている。旦那さんのお下がりのミラーレスもあるけれど、滅多に使わなくなった。あの時よく買ったなと思う。カメラは奥が深くてとても層が厚い趣味だ。私でもカメラを常備することで「カメラやってます」とは公言できない程度の写真好きにはなれた。趣味にラベリングは不要ですかね。今回の文を書く際、ちょいちょいPCのフォルダやGoogleフォトの写真を見ては戻ってを繰り返し、書き上げるのに時間がかかった。外暗いぞ!写真はいいやね。いろんな景色や人にまた会えることが出来た。