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はたらくために

猫について書いておこう

 我が家は2012年のGWに2匹の猫を迎えた。ベンガル種のブリーダーさん家から来た子達で、母猫と娘猫。noteのヘッダー画像にも使っているので是非見て欲しい。人生で初めて飼う猫。最初は手探りで、びくびくお世話をしていた頃が懐かしい。けれど、今年9月娘猫が先に虹の橋を渡ってしまう。今は埋葬も済ませ、そろそろ四十九日を迎える。最初は呆然と日が過ぎたが、ようやく少しだけ落ち着いたと思う。

 小さい頃から私はペット欲が強かった。しかし小児喘息持ちであった事、父親の許しが出なかったなどで飼う事はできなかった。うちの父親は幼い頃、複数の動物を飼っていたそうだ。犬、猫、それに何故か日本猿まで。「なんで私は飼っちゃいけないの?!」何度も訴えたが、父親はタヒぬから嫌だの一点張りだった。くっそ、頑固親父め。私は小学校の卒業文集に「大人になったら大きな犬を飼って一人暮らしをする」と書いているくらいなので、耐え忍んだ強い願いだったと思う。ついでに、卒業文集は先日物持ちの良い同級生から画像が送られきており、文体・内容・挿絵全てが黒歴史感満載なので、手元にあったとしても読み返すのは大変勇気がいる行為だと思う。やめとけ。小学生の自分の気持ちは取り合えず受け止めておく。ツライ。

 大人になり、結婚してペット可の住まいに移ったタイミングでペットの話になった。当時は既に旦那さんが飼っていたデグー(げっ歯類)が5匹もいたので、次は犬か?猫か?と大分鼻息が荒かった。とは言え初めての事なので、手始めに猫カフェなんぞに出向きイメージを膨らませようとした。何度が猫カフェを訪問しているうちに、もう猫確定。共働きで朝夜の散歩は難しいし犬よりも猫。猫だよ猫。猫だ!うちに猫が来るんだ!テンションたっか。猫を迎えるにあたり、近所のペットショップを覗いたり、保護猫なども調べ始めた。そうだ、うちらは猫カフェで逢ったベンガルのがたいの良さに惹かれんだ、それならとブリーダーさんを探す事にした。運良く同じ区内にブリーダーさんを見つけ、アポを取る。秋に問い合わせると、冬に出産を予定している子がいるので、タイミングが合えば譲って頂く流れになった。年が明けた1月29日。寒い曇り空の日、確か週末でお使いに出ていた時だと思う。「無事に生まれましたよ」のメール。小さく丸まった黒っぽい子の画像を見て、半泣きで喜んだ。

 子猫が生まれたら3か月後のお譲りになりますと言われていた。その間、改めてブリーダーさん家を訪問させて貰った時、「宜しければ母猫もご一緒に如何ですか?」と打診される。子猫一匹でいるよりも母猫が一緒だなんて願ったりもないお話、即答で是非にとお願いした。そんな訳で同時に2匹を迎え、あっという間に10年を超えた。母猫は5歳で我が家に来たので、今年誕生日が来たら17歳になる。食が細い子で、年も年だし冬を越せるのかいつも心配していた。そんな矢先、娘猫が急変した。11歳8ヵ月、まだ心配する年ではないと思っていたが、分からないもので何もできなかった。旦那さんは「後悔はしない」と釘をさした。私達が泣き暮らしても、うかばれないからと。

 今どきの猫は20年超えるんだと信じて疑わなかった。予防接種も定期的に受け、病院にはいつでも通えた。餌もしっかり選んで、おやつは与え過ぎず適切に健康的に過ごせていたと思う。それでも気づいてやれなかった後悔、無念さやらが押し寄せて、状況を飲み込むまでに時間がかかった。そんな中でも社会人として仕事をしなければならない。やることがあると気が紛れるとはよく聞く話だけれど、ミスをしないか冷や冷やしながら、妙な緊張感の中で仕事をしなければならず、かなりきつかったと思う。ふと、何の為に仕事しているんだ?と言う気分で落ち込む。自分が生活する為なのは百も承知。そうだ、猫のご飯代を稼ぐ為にだなんてSNSに私書いてたな。そんな子も旅立ってしまう。気持ちは消化するんじゃなくて、消えることなくぺろっとめくると湧いてくるものかもしれない。生き物を迎えた覚悟が今まさに試されている。そして試され続ける覚悟もしたところです。


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