今日の私

朝から数本のアーチュー ケラーの動画を見る。(ヘレン・ケラーのお父さんの方ではない)
エコノミー ネオクラシック(新古典派経済学)の中で謳われる持続可能性は、経済学で弱い持続可能性と呼ばれるもので、私達が普通に考える持続可能性とは全く異なる。という点について、日本では議論をされているのかどうかを調べてみる。
立命館大学の論文の一部? を発見し、他にも数件あるようだけど、どれも割と短い。
もう少し掘り下げたいところだけど、今日のところはこのまででだいぶ時間を食ってしまった。

作業をしながら朝ごはんを食べていたのだが、今日は中国産の有機栽培大豆で日本で作られたらしい“有機豆腐”とキャベツと人参を入れて作ったチゲと親戚から送られてきた白米。栄養価的に十分なのかは怪しい。最近の課題は植物性タンパク質でどう十分な量のタンパク質を取れるのか?である。
一食の中に様々なパラドクサルが混じり合い、おかしな事になっているが、これが日本のいち消費者のある意味限界ではないだろうか。
春まではシェア畑で野菜を作っていたが、このインフレ下月6千円以上の費用を捻出するのが難しくなると考えやめてしまったので、私の命はスーパーマーケットとそこへ物資を運ぶトラックとガソリンに丸ごと委ねられている。超依存状態。危機を感じる。でも私一人では今はどうしようもない。
もちろん、移住を計画している。すごく焦るが、これもすぐにはできない。

日本の皆さん。コロナ禍でがっぽり儲けたとしても。絶対にタワマンなんて買わないように。石油の生産量だけを見てもヤバさはわかるはず。世間の風潮やメディアの煽るイメージに踊らされないように。
個人的にはタワマンでブランドものに囲まれて生きる人が居るうちにブランド物を高く買ってもらって、賢く準備をしたいケド。

と言いながら、加齢と(抗うつ剤)で最近太り過ぎて着れる洋服がなくなってきたので、ユニクロのセールでズボンを1本買おうと考えている私。2重人格が酷すぎる。

経済的なリミットがタワマン族よりも厳しいという点で、たくさんのハードルを柔軟に乗り越えなければならない。

日本で提案されるエコロジーのイメージとは程遠いだろう。ヨガをしてサスティナブルなオブジェに囲まれ、オーガニックを着てオーガニックを食べて素敵なインテリアの家に住む彼らの生活は本当にエコなのか?少なくとも大勢に真似できるものではないはずだ。同時にああいうかっこいいイメージも必要な人も居るのは容易に理解できる。

という感じで、毎分毎秒、自分の中と自分の外のパラドクサルに悩まされるている相変わらずな日々である。


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