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バイセクシャル
政治宗教野球
については話題にするな!
と教えられた数十年前のバーテン修行時代。
世は流れ、野球と政治については語る事が増えてきた。
宗教は、仏教各派、神道、キリスト教(この地はカトリックが多い印象)、創価学会あたりに集約されてる気がして、なんとなく感じるので、踏み込まないようにしている。
一方でジェンダー
ゲイ(本人はこの総称のほうが差別的と言う)の友達がよく来店してくれて、まだ見ぬ世界の魅力を伝えてくれる。
男装の女性という先輩もいる、この表現も良くないな、先輩は女性パートナーもいて、少なくとも私の周りではなんの違和感もなく、接している。
かつては女性の装いの女性同士カップル、一見男女カップルだが女性は実はニューハーフ(この辺りの表現、思いが至らないならすいません)
など、様々なパターンを見てきた。
おかげで、特段差別意識はない方じゃないかと思ってきたのだけど、書いていて思う。
私が会ってきたのは既にカミングアウトしてきている人だし、言い出せない人もいる。
ここでは敢えて社会的に女性が差別を受けていると言うことには言及したくない。
息苦しさを感じる人ってとんでもない数の人がいるのだろうと。
たまたま見た映画
生き辛い
以前「遠矢さんって、虐げられてる人の身にはなれませんよね」と言われ衝撃を受けた。
別に成功してる訳ではないし、田舎でしか生きてきていないけれど、性格的に親分気質があるのは認めるし、そんな振る舞いで「好きな事して生きてます」と嘯いてきた。
そして思う。
その立場がギリギリ保てる場にいようとしている。
たまたま田舎で比べるものも少なく、なんとなく表通りと思っているところを歩いているだけ。
おそらく人は、その立場が確保されている場に安心感があり、その範囲は人それぞれ、そこを破ると新しい世界に触れられるが、その世界自体に憧れを感じない。
そしてそれは不幸ではないし、そのままの選択も他人がとやかく言うべきものでもない。
全くの私心だし、何の裏付けもない。
ただ本当に認め合える世界が理想的とは思う。
認めるって、簡単じゃないなあ。
まずは自分に嘘をつかないことかなあ。
まずもって、これがなかなか難しい。
とかくこの世は、、、