なぜ僕はプロレスに熱中するのか
先日TAKAYAMANIAという興行があり、
2017年に頸髄完全損傷という怪我を負って全身を動かすことが出来なくなってしまった
高山善廣選手が7年ぶりにリングに上がった。
依然として高山選手は体を動かすことが出来ない状態であるが、
この日は鈴木みのる選手と相対し、
特別試合としてゴングが鳴らされた。
鈴木みのる選手は車椅子から立ち上がることが出来ない高山選手に対して
立ってこいと挑発を仕掛ける。
高山選手は顔を歪ませ、立ち上がろうとする。
自由が効かない悔しさから、涙を流す。
鈴木みのる選手は「復活する日まで勝負はお預け」と、
この試合は無効試合となった。
プロレスラーは常に危険と隣り合わせだ。
誰に頼まれた訳でもないのに命をかけて戦っている
過酷な試合の中で大怪我をする選手も後を絶たず、
試合中に亡くなってしまう事だって起きる。
プロレスというスポーツは
スポーツであり、ショーであり、エンターテイメントだ。
強さは重要な要素であるがそれはプロレスの一面であり、
多種多様な表現で観客を魅了するのがプロレスの醍醐味だ。
筋骨隆々で強さを追い求めるTHEプロレスラーもいれば、
コメディを駆使して観客を楽しませるプロレスラーもいる。
プロレスラーは表現者であり競技者だ。
自分の生き様や感情をリングの上で表現し、
その上で勝負の世界で全員勝つことを目標にしている。
しかし、観客にとっては負けてもさらにその選手を好きになる事が珍しくない。
それはいい試合をしたからとか、
熱狂させてくれたとか、そういう理由なのだが、
観客は少なからずプロレスラーに自分の人生を投影している。
ベビーフェイスが様々な困難を乗り越えてベルトを戴冠した姿、
ヒールが一般人には出来ない悪事をする姿、
若手がベテランに喰らいついていく姿、
負けても勝つまで諦めない姿、
怪我をした選手が怪我を乗り越えて復活する姿
自分の人生に起きた嫌な事ややるせない事を、
プロレスラーのドラマを通して飲み込もうとしているのだ。
プロレスラーはどんな困難もあきらめずに立ち上がる。
2.9でカウントを返す姿に自分もそうでありたいと投影する。
鈴木みのるvs高山善廣というカードは、
そんなプロレスという世界を体現したものだった。
高山選手が頑張っている。
鈴木みのる選手が諦めるなよと鼓舞している。
僕はそんな光景を見て、自分も頑張ろうと思う。
人が頑張っている姿に励まされる。
たったそれだけのことなんだけど、
日本中・世界中の人間に勇気を与える事が出来るプロレスに、
僕はたまらなく熱中してしまうのだ。
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