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「動物の隣にいる資格がないと思っていた」イラストレーターしろさめインタビュー
学生時代、SNSに投稿したイラストが大きな注目を集めたしろさめ。在学中に出版社2社から著書の刊行が決定し、卒業後はイラストレーターとしての道を歩みはじめました。動物と人が共存する日常風景を描いた作品は、『涙が止まらない』『胸に沁みる』『癒やされた』と多くの共感を呼び続けています。
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なぜ彼女は「動物と人がいる世界」を描き続けるのでしょうか?
本インタビューではその創作の原点を探り、彼女の絵がどのように鑑賞者の心の奥深くに触れ、静かに温もりを届けているのか、その理由を紐解きます。
インタビュー・文:BUILDING/CAT'S FOREHEAD代表 森健司
絵を描くことしかできなかった
- 「これまでどんなものを描いてきたのか?」から、少しずつお話を伺いましょうか。
物心ついた頃からずっと絵を描いていました。
母親が趣味で絵を描く人だったので、私もそれにつられてずっと絵を描き続けてたという感じですね。
小学校低学年の頃は、今みたいに動物ばっかり描いていました。
「動物」といっても当時はぬいぐるみがすごく好きだったので、白クマとかウサギ、犬のぬいぐるみを登場人物にした絵を描いたり、漫画にしたりっていうのをずっとやっていましたね。
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- 小学2年生の頃の絵にもう白クマが登場しているとは、驚きです。イラストレーターの皆さんにお話を伺うと、子供の頃に漫画を描いていたという人がとても多いです。
私も小学生の頃には少女漫画の『りぼん』を買ってもらうようになって、そこから漫画をすごく描くようになりましたね。キラキラと目の大きい女の子を。
中高生の頃はマンガやアニメっぽい絵が好きだったので、友達と一緒に描いたりとか。
高校卒業後は武蔵美(武蔵野美術大学)の油絵科に入学して、在学中に作品集の出版を2社からお声掛けいただき、卒業後も(就職をせずに)そのまま絵を描き続けて現在に至ります。
油絵を描くために美大へ
- これまでずっと絵を描き続けてきたんですね。
これは絵を描く人がみんな言うと思うんですけど、私は絵を描くこと以外に本当に何もできないんです。
だから自然と小さい頃から「絵の道に進むんだろうな」と思うようになって、それから今まで「ざっくりと未来に進んでる」という感じです。
- 油絵を専攻された理由は?
高1の夏に(美術)予備校の夏期講習体験に通った時に「専攻をどうするか」ってなったんです。選択肢としては「日本画」と「油絵」だったんですけど、やっぱり「油の方が描きたい絵をそのまま描けるな」と思って、表現のツールとして必然的に油絵を受け入れました。
- 油絵の経験があったんですね。
母親が昔使っていた油絵の具を借りて描いたことはありましたし、高校の選択で美術を取ったら油絵で描くしかなかったので。
私は画力が無かったので「日本画に向いてないな」と感じていました。日本画はなんだか難しそうなイメージがあったというか、単に馴染みがなかっただけかもしれませんが。一方で高校生の私には、油絵は「自由に描いて良い」という印象があったんです。
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- デザインやグラフィック系の専攻は就職を考えると人気ですが、しろさめさんはそうした道を選ばなかったのですね。
言われてみれば確かに……グラフィックとかは全然考えなかったんですよね。「絵を描きたい」っていう気持ちしかなくて。
予備校のデザイン科の課題にあった色面構成とかが、もちろんイラストにすごく役立つと思うんですけど、そういうことじゃなくて「とにかく絵をガーって描きたい」「大きい絵が描きたい」っていう気持ちが強くて。
油絵とイラストを往復しながら
- どんな大学生活を送っていたんですか?
武蔵美の芸祭って伝統的に毎年一つテーマを決めて、その世界観に沿った案内所とか入り口の門とかを作っているんですけど、それを作るサークルに入っていました。
そこでは絵ではなく、がっつりと建築っぽい設計みたいなことをしていて、みんなで木を切って組み立てたり、ペンキを塗ったりといったことをしていました。
そのサークルは1~2年生だけなんですが、それでかなり忙しかった記憶があります。
3年生からはほとんど学校のアトリエにいましたね。
家にいる時間よりアトリエにいる時間のほうが断然長くて、サークルも2年生で終わってしまっていたので、ずっと油絵を描いていました。
朝早く学校へ行って、アトリエで油絵を描く傍らにイラストを描いて、イラストに疲れたら油絵を描いて、油絵に疲れたまたイラストを描く……ということをずっと繰り返していたので、絵はひたすら描いていました。
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イラストの方は大学3年生の終わりくらいの時に初めて吉祥寺のギャラリーで個展をやらせていただいて、それ以降もちょこちょこグループ展に参加するようになりました。
- 大学には油絵を描くために入られましたが、油絵と同時にイラストも並行して描かれていたんですね。大学在籍中にほぼ現在のスタイルで出版社から作品集刊行のオファーが舞い込みます。制作の比重を油絵からイラストにシフトするきっかけがあったのでしょうか?
大学生の頃は「ファインアート(油絵)で食べていく」のか、「イラストレーションで食べていく」のかを迷いつつ描いていたんですが、やっぱりイラストレーションの方が展示に出した時に良い反響をいただくことが多かったんです。
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武蔵美の芸祭で私は油絵の展示と同時に、フリーマーケットでイラストを描いたポストカードを販売したんですが、断然ポストカードの方が手に取ってもらったりして。ちなみにその時もシロクマを描いていました(笑)
そんなことが何度かあって、私にとってはやっぱり「イラストレーションの方が自分を表現しやすいのかな」と感じて、イラストをどんどん描いていきました。
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- 大学に入るまでは少女漫画風のイラストを描いていたと伺いましたが、イラストのスタイル変化した理由を教えてください。
小学生ぐらいまでは動物ばかり描いていたのですが、中学~高校生頃になって漫画を描くようになると人がメインとなり、そこから大学生の半ばぐらいまで人をメインにした絵を描いていました。キラキラの大きい目のキャラクターですね。
大学ではイラストについてもすごく真っ直ぐに向き合えるようになり、「将来どういう絵を描いて食べていくか」を考える機会が増えたのですが、中高生の頃から描いていたアニメや漫画風の絵は、私よりずっと上手な人がたくさんいます。だから「あえて自分が描く必要はないのかも」と考え始めたんです。
大学生の半ばぐらいからは“ザ・イラスト”という感じで、アニメ風から今のような雰囲気の絵柄で描くようになっていたんですけど、好きなように描いているうちに、人物だけの表現に行き詰まりを感じてしまって。
やっぱり人を魅力的に描ける人は周りにいくらでもいるので、「私だけの絵の魅力を出していくには、どうしたらいいんだろう?」と、また悩むようになりました。
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悩んだ末にたどり着いたのは、「自分が本当に好きで、無理なく描けるものを描く」というシンプルな答えでした。子供の頃に描いていた動物や温かい雰囲気の記憶を思い出し、「今も動物が描きたい」と素直な気持ちに従ううちに、今の作風になっていきました。
そしたら絵を描くのがすごく楽しくて、(動物を描くことが)自分に合っていたことがわかったんです。
そのタイミングでまた描き始めた最初の動物がシロクマだったんです。
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描くことに救われて
- しろさめさんの作品はただ動物が出てくるだけではなくて、鑑賞者が「どこかにしまい込んでいた悲しみや喜び」のような感情を呼び覚ましていると感じています。大学生半ばで描く対象が人物から動物中心へと変遷しましたが、動物を描く以前から人物でそのようなシーンを描かれていたんですか?
はい。なんか寂しい感じの人の絵をよく描いていました。
私は子供の頃からとにかく内省的で内向的な性格で、大学生の時に自分の感情とかについて綴った日記みたいなものをひたすら書いていた時があって、必然的にそのような内容を絵にしていました。
「自分の中のモヤモヤをそのまま絵にした」ような絵を。
振り返ると「昔はとにかく寂しかったんだろうな」と感じますし、ひたすら自分のために絵を描いていたんだと思います。
なんていうか……自分が現実世界に接した時に生じたギャップとか悲しみとかで傷ついたぶん、「絵の中で自由に発散したい」「自分を出したい」みたいな感じでした。
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- なるほど。普通の人が友達と喋ったり、カラオケに行って盛り上がったりして発散させる代わりに、しろさめさんは絵を描いていた。現実で悲しいことや辛いことが起こった時に、自分の安全な世界を描くことで自分を守るような作用があったんでしょうか。
そうかもしれません。ただひたすら自分を満足させるために描いていましたし、そうすることで現実逃避をしているみたいな感じでした。
だから当時は泣いている女の子の絵が多かったですね。
- 先日の動画でも「わけもなく泣いたりする」と書かれていましたが
涙もろいので、今でもしょっちゅう泣いています。
- そう言われると、今年発表した作品でも泣いている人物が何度か描かれています。
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- 一方でしろさめさんの作品には、「頼れる存在」を想起させる大きな動物が、人間に寄り添う様子が頻繁に描かれていますね。
動物の中でも特に白クマのような「強い動物と人間って絶対に一緒にいられない」じゃないですか。
「だからこそ絵の中で描きたい」という気持ちがあります。
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- 動物たちは、しろさめさんの経験や誰かを象徴する存在ではなく、純粋に動物として描かれているんですね?
たまに「自分の恋人(家族)のように感じました」という風に共感してもらうことがあるんですけど、私は全然そんなことを意識して描いてはいなくて、子供の頃に感じていた「ただそこにシロクマがいてほしい」「ぬいぐるみが動いたらいいな」といった気持ちの延長で今も描いている感じですね。
正気を保つために描いている
- しろさめさんにとって「絵を描く」ことが、現実と折り合いを付けるために非常に大切な行為だということがわかりました。私がしろさめさんと接している中では「とても丁寧にコミュニケーションをしてくださるな」とは感じていましたが。
今はまだマシにはなったので、だいぶ世間とはうまく接することができるようになったと思います。でも子供の頃は本当に人見知りで、人前に出るとすぐに泣いたりしていました。
争い事が好きじゃないので、露骨に人とぶつかり合ことは全然ないんですけど、自分の気持ちをその場ですぐに言えなかったりとか、外で友達と話した後に家に帰ってから「あんなことを言って大丈夫だったかな」っていうのを持ち込んだりするようなことを、ずっとしていましたね。
それは周りに問題があるんじゃなくて要するに自分の問題ではあるんですけど、自分がいろんなことを気にしすぎることに疲れちゃって、「じゃあしばらく人と会うのをやめとこう」みたいな感じになったりすることはよくありました。
- でも「人嫌い」ではないですよね。
そうですね。
周りの友達がすごく優しい子たちばかりなので、人と会うことは全然好きなんですけど。
- 友達に恵まれていますね。
それは本当にそうなんです。
みんな私が絵を描くことも応援してくれていますし、ありがたいことに本当にみんな優しいです。
- 私はしろさめさんのコミッションワークのコーディネートと販売する作品の制作も見ているので「いま何を描いているか」をほぼ把握していますが、仕事として描きながらも少しでも時間を見つけてはオリジナル作品を描いていて、「いつ休むんだろう?」と心配になるぐらいに休みなく描き続けています。昔と比べると(少しは)「世間とうまく接することができるようになった」現在でも、ひたすらに描き続けている原動力はどこにあるのでしょうか?
うーんなんだろう……よくある答えっぽくなっちゃうんですけど「生活の一部」というか、なんだか絵を描いていない自分が想像できないので……でも「なんか描きたい」。ただそれだけというか。
中高生からの友達に「よく絵を描き続けてるね」と言われるんですけど、逆に「私は絵を描かずには生きていけないだけ」なんですよね。
自分の中に描きたいものが湧くとそれを出さない方が苦しいですし、他の発散方法もよくわかりません。
だから……「正気を保つために描いている」のかもしれません。
動物の隣にいていいんだ
- これからのことを伺いましょう。社会と接する過程で生じた軋轢や澱(おり)のような感情が、心の中で固まってこびりついてしまわないように昇華(あるいは浄化)させるため、まるで「祈り」や「儀式」のように描いて来たのだとすれば、ご自身の成長や環境の変化で描く内容も変わっていくのだと思います。最近の作品では(これまでのトレードマークとも言える)シロクマがあまり登場しなくなりましたね。
それこそ昔は「悲しい」「寂しい」といった負の感情が大きかったから、そんな心情を次々に反映して描いていました。
でも最近は以前よりは現実世界で折り合いが付けられるようになって来たので、今後はもうちょっと絵を普通というか「ちゃんとした日常の優しい世界」みたいな、感情的な“影”を少し抜いたような絵が増えるような気がします。
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いろんな動物を絵に入れたいとは以前からずっと考えていますし、たとえば普段よくイメージしている「ウサギとか小さな動物が日常にいたら」のようなことも、どんどん描いていけたらいいなと思っています。
- それも作家としての成長でしょうか
そうかもしれません。
もし私が変化しているのだとしたら、その理由は最近「実家に犬が来た」っていうのが結構大きいと感じています。
「現実世界に自分の隣にいてくれる生き物が来た」ことが、私にはすごい衝撃があったんです。
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- これまで動物を飼ったことがなかったんですか?
ずっといなかったですね。
だから子供の頃はぬいぐるみばっかり相手にしてたんだと思うんですけど、犬が来たことで「私も現実世界でこんな風に動物と意思疎通していいんだ!」っていう、なんかステージがちょっと上がった感じがしています。
だから最近は、「別の生き物との対話を絵だけに求めすぎなくなった」ような気がします。現実には隣に生きた動物がいるので、「人間みたいな生き物との対話を絵の中だけで完結させようとしなくなった」というか。
とはいえ、今までと変わらず「そばに動物がいてほしい」気持ちは常にあるので、絵の中では普通に動物を描いていますが。
- なるほど。子供の頃に動物と暮らしたことがなかったというのは意外でしたが、しろさめさんが描いていたのは「とても大切にしていたぬいぐるみが隣にいる世界だったのか」と考えると腑に落ちる部分もあります。だから「はじめからシロクマが部屋の中で親しげに描かれていたんだな」とか。
そうですね、ぬいぐるみは今でもすごく大事にしていますね。
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これまでは「自分には犬とか他の動物と心を通じ合える資格がないんだろうな」みたいな気持ちがあったんですけど、実家の犬と触れ合うことで「こんな私でも他の動物の隣にいていいんだ」という安定感が出たというか。
- 資格がないから絵の中で描いていた?
なんていうか、昔は現実と触れ合うのが怖すぎたっていうか。
それを解消するために描いていたんですけど、最近は現実世界の(実家の)犬でちょっと満たされてる部分があるので……
- 満たされたことで絵が描けなくなってしまうかも?
満たされすぎるとそうなるんですかね(笑)
でも、こんな私でも徐々に社会と接することが増えていますが、やはり今でも悲しいことや傷つくことが日々の暮らしの中で起こるものです。
そういう意味では、私の(内省的で内向的で傷つきやすい)性分は子供の頃からあまり変わっていないような気がしますし、それでも以前と比べて絵はどんどん描けるようになっています。
そうだとしたら、もしかしたら年齢を重ねることで「社会との折り合いを付けられるようになった」というよりは「絵で発散する方法がわかってきた」のかもしれません。
でもやはり(実家の)犬が本当に可愛いので、「バランスを保つ」とか「発散」とかは全然関係なく「ただ描きたい」という気持ちで描いた犬の絵が増えるかもしれませんね(笑)
※画像は全てしろさめ提供
しろさめ
1997年生まれ。東京都在住。武蔵野美術大学油絵学科卒業。
透明水彩を用いてやさしく柔らかな世界を描く。
繊細ながらも生き生きと描かれたひとや動物たちのぬくもりを感じさせる作品で絵本などの出版物を中心に活動中。
著書に『やさしいしろくま』(KADOKAWA)、『しろくまにっき』(西東社)がある。
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