蛾と虫のはなし
虫は基本的に私の天敵である。意図せず突然飛ぶところ、いつの間にか服やカバンについているところ、そしてなぜかこちら目掛けて飛んできた挙句、私の周りを執拗に飛び回ること。
とにかく苦手だった。
虫への恐怖として残った一番古い記憶は、捕まえたショウリョウバッタを手に取ってまじまじと見ている時に、口から茶色のようなくすんだ赤のような汁を出した場面である。もしかして押し潰してしまったのではという焦りと、その当時観た映画で、人が押し潰されて死んでいくシーンが重なって心底恐ろしくなり、そのバッタを草むらに放り投げた。幼稚園の頃の話だ。
今になって調べてみると、その汁はバッタの消化液だそうだ。力が強すぎて出てしまった訳ではなく、バッタも捕まってしまった!という緊張状態で出てしまうらしい、いわゆるゲボ。発表前に緊張しすぎて気持ち悪くなってしまう人と同じ原理(?)とういわけだ。
それ以来、虫に触ることは無くなった。蝶やトンボ、いも虫は全く平気なのだがそれですらも触らない。その当時、幼稚園児であった私は、幼く足りない脳みそで「このような弱い生き物は触ってはいけないのだ、加減一つで死んでしまう生き物なのだ」と考え、殺してしまうことが怖いと思い、虫たちと関わることをやめてしまった。
これが私の人生が虫から隔離された始まりであった。
幼少期の体験から30も後半になった今まで、ほぼ、ほとんど虫に接する機会がないまま来てしまったので、部屋の中にどうしても入ってきてしまう虫に、あたかも目の前にレギオンが現れた札幌市営地下鉄の運転士よろしく、自分の命が終わる気持ちで彼らに接している。
しかしやられるだけでは解決しないので、やるかやられるかの気持ちで上からジャムの空き瓶を被せるなどして日々戦っている。
ここ数年の話であるが、私はPlayStationでFallout76というゲームをプレイしている、最近は時たまログインする程度ではあるが。
その中でモスマンというUMAが登場する、その世界ではモスマンを神として崇めるカルト教もあったりする。
そもそもモスマンとは、アメリカのウエストバージニア州ポイントプレザントという街で1966年から目撃情報があったUMAの事で、リチャード・ギアが主演を務めた映画「プロフェシー」の題材になった未確認生物だ。ちなみに映画にはまともにモスマンの姿は登場しない、残念。
そんなモスマン、初めて見た時は本当に、心底気持ちが悪いと思った。
大きな脚の表面は毛羽立ち、翅には不気味な鱗粉が滑り落ちるように流れている。
とにかく、とにかく苦手だった。私の苦手な虫というカテゴリの生物が、人より少し大きいくらいのサイズで存在しているのだ。
しかしながら、イベントや野生のモスマン(?)に出会う度にこいつはどういう仕組みになっているのか、どういう生体行動をとるのかなどとよくよく見るようになってくると、それが意外と可愛いのではなかろうかという気持ちに変わっていったのだ。
そしてついにはモスマンの蛾としての種類を特定しようと蛾の図鑑まで買うようになっていった。
しかしながら、これは結局ゲームであるから、蛾の種類なぞ特定できる訳もなし。
おそらく放射線や強制進化ウイルスによるスズメガの突然変異だろうと私の中で結論づけた(結局なにもわかっていない)
「わからないものはこわい」というのはどんなモノ・事を対象にしても発生する感情である、と思っている。
結局モスマンがきっかけにしても、蛾が怖いものとして認識されていたものが、調べるにつれ意外とかわいいと思えるようになったのは、そのものの知識がついたからではないかと思う。
かといって未だにバッタやらの形をした種類は苦手なのだが。
ここまで虫は苦手だという話をしてきたが、なぜかクモは昔から平気だった。
これはおそらく幼少期から、クモは私の最も嫌いなゴキブリを食べてくれる、という親からの刷り込み教育があったせいだろう。今でも家の中でクモを見かけるとそっと踏まれない場所に逃がしてやったりしている。
やはり「わからないものはこわい」は全てのモノ・事に通じているのだなと改めて思った。
先日、ベランダの床に蛾が止まっていた。
いつも通り写真に撮り図鑑で種類を調べる、正直入門レベルの蛾の図鑑なので種類は多くないし、細かい説明がないので同定するにも難しい。
おそらくはアカマエアツバかそれに近い種類なのだろう、昼の間はずっと止まって動かなかった。
夕方になって少し翅を立てて三角形のような形になっていたので、いよいよ飛び立つものと思いそっとしておいた。
しかし翌朝、蛾がいたところを見ると、最初に見たようにぺったりと翅を床につけ動かなくなっている。
まさかなと思いそっと触ると、既に死んでしまっていた。
この蛾の最期がこんな無機質の、草も土も花もない人間のベランダだなんてあまりにもかわいそう、今までどんな花の蜜を啜り、幾度となく天敵から逃れ生きてきたのか。それの最期がこんな無機質なベランダ、土にも還れない。
いたたまれなくなり、ずっと昔に何かを育てようとしたまま放置してある土の入ったプランターにそっと置いてやった。
ここで腐れば雨に養分が流れてまたどこかで役に立つだろう。
「腐る事も許されないのは人間だけだねぇ、なんの役にも立たんわ」と家人と笑ってしまった。
嫌いな虫の一つであった蛾ではあるが、蛾の世界がいつのまにか楽しくなってしまった。毒を持っている成虫の蛾が日本国内には意外と少ない事、突然大量発生してお祭り騒ぎになる事、あんな小さい体でいろいろやっているのだ。
いつかもう少しお金に余裕ができたら、あの分厚い蛾の図鑑を購入しようと思う。
本当に高いのでいつになるかはわからないが。