#私の旅行記 エルパソで国境パトロールに捕まった(4)
私の事聞いてくださいシリーズ
出発:1980年6月30日大韓航空
成田発ハワイ経由ロスアンジェルス行き
23歳女性。一人旅。初の海外旅行。
目的:振られた男を忘れる。
願わくば当地で職を得る。
総額費用:50万円。
定時制高校当時から貯めていた預金全額。
費用詳細:航空券往復18万円
日航やアメリカの航空会社はこの2倍はした。
グレイハウンドバス
1ヶ月乗り放題周遊券7万5千円(342ドル)
為替レート:1980年6月1ドル226円
トラベラーズチェック1000ドル 約23万円
残金:小さな手土産代
「前noteからの続き」
カルフォルニア州立大学バークレイ校。
キャンパス内の学生寮。
学生が夏休みで使用していない部屋。
ベッド、デスク、テーブル、椅子。
部屋の住人の物は何もない。
トイレやシャワーは男女共同。
シャワーブースは、カーテンが閉まるだけ。
部屋代は3泊20〜30ドルぐらいだったと記憶。
私はその部屋でほとんど引きこもり状態だった。
部屋にテレビがあるわけではない。
睡眠以外何をしていたのか。
日本製の携帯ラジオをもっていった。
しかし聞けるFM局はわずか。
アメリカのラジオ周波数帯域と日本のそれが
重なる帯域が小さいっていうことを知らなかった。
部屋から出るのは、スーパーマーケットへ
買い出しに行く時くらい。
その際、ちょっと界隈をぶらぶらしてみる。
夏休みだからなのか、人はそう多くない。
初日、夕方ちかくになってロックコンサートのマイクテストや
リハーサルの大きなサウンドが耳に入ってきた。
グリークシアター。学生寮の道路を挟んだ向かい側に
石造りの野外コンサート(劇場)。
夜は本番を窓越しに聞いていた。
滞在3日目、グリークシアターで
またコンサートが開催。
アーチストはチャックマンジョーネ。
知っていました。好きでした。
去っていった彼のレコードコレクションから
よく聴いていた。
チケットの購入時の記憶がない。
でも確かに会場のコンクリートの座席に座って
ライブ演奏を堪能した記憶はある。
星満点の夜空(だったかな?)に響く、
チャックマンジョーネのトランペット。
ああ、私は何故一人でこんなところで、
彼が好きだった音を聞かなければならないのか。
とってもとっても孤独だった。
『と、ここまで書いたところで(現在2023年)。
私のこの記憶の裏付けのため、一応チャックマンジョーネの
過去コンサート記録をチェックした。
驚き。1980年7月彼はグリークシアターでコンサートをしていない。
私はどん底に落ち込んだ。その後、*某人物Aが「君は確かに
グリークシアターにチャックマンジョーネの演奏を聴きに行った。」
と証言してくれた。「ただし7月ではない。9月初旬だったと思う。」
しかし、9月でも彼のコンサートの記録は残っていない。ま、いいか。
第三者がそう言ってくれるのなら。裏は取れたことにしよう。
チャックマンジョーネのライブ演奏を聴いたのは幻想ではなかったのだ。』
宿泊先バークレイ校学生寮4日目の朝。チェックアウト。
今回の旅行計画での滞在地サンフランシスコへ向かった。
何故サンフランシスコを滞在地に決めたのか?
「続く」
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