#私の旅行記 エルパソで国境パトロールに捕まった(6)
私の事聞いてくださいシリーズ
出発:1980年6月30日大韓航空
成田発ハワイ経由ロスアンジェルス行き
23歳女性。一人旅。初の海外旅行。
目的:振られた男を忘れる。
願わくば当地で職を得る。
総額費用:50万円。
定時制高校当時から貯めていた預金全額。
費用詳細:航空券往復18万円
日航やアメリカの航空会社はこの2倍はした。
グレイハウンドバス
1ヶ月乗り放題周遊券7万5千円(342ドル)
為替レート:1980年6月1ドル226円
トラベラーズチェック1000ドル 約23万円
残金:小さな手土産代
(前noteからのつづき)
ギラデリィスクエアの靴店。
店員の男性はボストンから
サンフランシスコに来たばかり。
当地の大学へ転入すると言う。
日本語勉強中。私と同年齢。
将来の夢は日本に住むこと。
何故日本が好きなのか?
漫画って、言っていた記憶が。
彼の名をここではL君と呼ぼう。
初めて会ったその日の晩。
彼はサンフランシスコの街の
ガイドを私に申し出た。
夜のサンフランシスコ。
観光スポットを一緒に歩いた。
コイトタワー、ノブヒル、
ブロードウエイ、チャイナタウン。
ゲイピープルが集う通り。
ポーク(Polk)ストリート。
やっぱり雰囲気が違う。
そのストリートに面した
数々のバーやクラブ。
開け放れた入り口から
中をのぞくと、
当時はほとんどが「男性」客。
43年後の現在、
性別を超越した人々が
集っているだろう。
それが、サンフランシスコの
街のキャラクターの一つ。
ゲイ*の人々が集う街。
(*当時の一般的な呼び名です)
もう一つのLGBTQ*集中区域が
カストロ地区。(*現在の総称)
マーケット通りの南側。
L君、ガイド初日。
ポーク通りを歩いてた時。
彼がゲイなのかな、
と私は感じた。
一軒一軒クラブやバーを
覗き込む姿が、誰かを
探しているように見えたから。
翌日もL君は私を誘った。
その後も彼のガイドは続いた。
前回noteで
私が欲しがった、
「Brikenstock Arizona」
L君の従業員割引で
購入できた。
L君はホームレスだった。
靴店の奥にある事務所兼
倉庫を寝室にしていた。
部屋を探してはいたが、
彼が入居したい、または、
できる部屋がない、
と困っていた。
そんなこんなで
彼のガイドはほとんど
毎日続く。
私はメリーエルザベスイン
の滞在を更新しし続けた。
日本出発前に購入した
グレイハウンドバスの
1ヶ月乗り放題周遊券。
早く使い始めないと
「1ヶ月」全期間乗り放題が
できない。もったいない。
アメリカの各地を見たいと買った
グレイハウンド周遊券なのに。
入管でもらった2ヶ月の滞在期間。
残り1ヶ月を切りそうだ。(続く)
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