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#私の旅行記 エルパソで国境パトロールに捕まった(8)

私の事聞いてくださいシリーズ

出発:1980年6月30日大韓航空 
成田発ハワイ経由ロスアンジェルス行き
23歳女性。一人旅。初の海外旅行。
目的:振られた男を忘れる。
願わくば当地で職を得る。
総額費用:50万円。
定時制高校当時から貯めていた預金全額。
費用詳細:航空券往復18万円 
日航やアメリカの航空会社はこの2倍はした。
グレイハウンドバス
1ヶ月乗り放題周遊券7万5千円(342ドル)
為替レート:1980年6月1ドル226円
トラベラーズチェック1000ドル 約23万円
残金:小さな手土産代

(前noteからのつづき)

8月中旬サンフランシスコ。
私は、何故戻ってきたのか。
L君に未練があったから?
そうかもしれない。

その2週間前
私はサンフランシスコから
再びバスでサンディエゴへ向かった。
前出のファミリーに合流するため。

彼らの夏休みの旅に同行。
キャンピングカーでの
グランドキャニオン観光。

西部劇好きの私(あの頃は)は感激。
アメリカに来て初めて州をまたいだ。
カリフォルニアからアリゾナ州。

グレイハウンド1ヶ月乗り放題周遊券。
まだ使い始めていない。
私は、8月末日までにアメリカを
出国しなければならないのに。

メリーエリザベスインにチェックイン。
すぐL君が入居したあのシェアハウス
へ向かった。

彼の入居後、サンディエゴに発つ前、
私は1度訪れていた。

入り口の白いドアを強くノック。
ドアを開けてくれたのは、L君でもなく、
前出の「遅れてきたヒッピーさん」でもない。

柔らかそうなカーリーヘアの小柄な男性。
私を2階へと迎え入れてくれた。

彼はもうひとりのルームメイト。
名前はホゼ。グアテマラ出身。

彼は私に言った。
L君はここにはもういない。
入居後、1週間ほどして出て行った。
日本人学生が住んでいるルームシェアが
見つかったので、そちらへ移ったと。

そうだ。
L君は日本語を学習するため、
私と友人になったのだった。

L君が出て行った部屋は今は空室。
1ヶ月分の部屋代は支払い済み。
だから私がその部屋を使っても良い、
とホゼ氏は提案してくれた。
無料でだ。

私は残された2週間、このまま
サンフランシスコ、その周辺で
過ごそうと考えはじめていた。
バス周遊券は使わず、
その払い戻し金を帰国後の
生活費にしようと。
預金ゼロからの再出発だから。

そして、幸運にも宿泊料2週間分が
浮いたので、経済的余裕が少々増した。

直ちにメリーエリザベスインから
florida avn.のシェアハウスに
引っ越した。

ホゼ氏の仕事はピザデリバリー。
彼のポンコツボルボで
出来上がりのピザを配達する。
そして時々マリファナの売人。

配達の待ち時間、
家でピアノを弾いていた。
しょっちゅう弾くのが
楽曲名は後から知ったのだが、
エリックサティのグノシエンヌ第一番。
毎回、毎回、同じ場所で指が止まる。
幾度も幾度も弾き直す。
夜中でも弾く事が。
暗闇の中聞こえてくるピアノ音。
フォラー映画のバックグラウンド
ミュージックようだ。
不気味。

私に残された2週間。
毎日サンフランシスコの
ストリートを歩いて回った。
カストロ、ユニオン、ヘイト&アシュベリー
マリーナ地区、ミッション地区、等々。
旅行者というよりは、
住民のような気分に浸った。
いつか戻って来られるのか?
そんな奇跡は起こりそうにない。

ある夜。
聞こえてくるピアノの楽曲が
いつものではない。速いテンポで、
クラシック音楽ぽくない。
ホゼ氏、サティはもう弾かないのか?

その翌朝。
キッチンのテーブルの上に、
パウンドケーキをみつけた。
まるで、誰でも食べていいよ、
と振舞っているよう。
ナイフもそばに置いてある。
私、ご相伴にあずかった。
美味しい。

その日の午後。
隣の部屋で物音がした。
ホゼの部屋ではない。
あの遅れてきたヒッピーさん
の部屋からだ。
彼は帰宅していた。

私がL君に同行してこの家にきた時、
彼は長期ツアーの合間の休息中で
家にいた。その翌日彼は、
またツアーに合流した。

だから、L君が入居したのも、
退去したのも彼は見ていない。

私が彼の家に滞在しているのも
もちろん知らなかった。

彼、遅れてきたヒッピーさんの
名前はフィル。

「続く」

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