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某刺傷事件を受けて、表現の自由と模倣犯

映画は好きだし、シリーズも好きだし、映倫も通ってる

でも100%問題ない表現だったか、と言うと、関係者ほど返答が難しいと思う

皮肉な事に完成度が高い程、美しく違和感なく進み、感情移入も起きやすい

過激ながら自分もそちら側だったかも、と思わせる作り方をし、ストーリーより俳優の演技で成功したと思う

R15をギリギリ通る編集をしたところがあり、公開当時も批難を浴びたり

自主規制も法律も、出来た時は守ろうと言う気持ちなんだけど

すぐになんとかして掻い潜ろうとか、ギリギリを攻めようとか、ちょっとチャレンジ精神まで含む気持ちになってしまうのが難しい


脚本家は客の求めるものを書き、演出家はよりリアルに作り込み、俳優も素晴らしい演技で架空の人物を現実に呼び出し、編集者はその素晴らしい仕事ぶりが映倫に通るようにきちんと編集した

全員が自分の仕事をやりきったがために、犯罪者予備軍にも訴求した


もの作りをしていて、本当に何度も自戒するところでもある

客の求めるものをそのまま作ってはいけない


そして、法律は事故を防ぐためや常識があればやらないことをやった人の為にあるので、普通の人はやらないから必要ない、は通じない

誰かがやらかしたから、法が出来る

そういう病気の人なんだとか、そういう教育レベルなんだとか、言って済ませたところで、そういう人ももっと色んな人も居るのが社会なので、目を背けては居られない


どうにかすれば、もっと効果的に少しでも防げるのだろうか


※基本的に、調べながらつらつら思考の軌跡のままに書いて最後に自分なりにまとめるためのものなので長いです。シリーズで書いて結論は最後の記事になることもあります。関連リンク等を貼っていくので、そちらのリンク集かなにかと思ってください。追記、編集も多いです。


アート作品は万人受けを狙う事もあるけど、様々な演出から出るシグナルを重ね合わせてフィルタとし、あるいはそぎおとしてサインとし、ピンポイントに特定層だけを狙うことも出来る


万人受けする100円の商品を10人のスタッフで10,000人に売るより、100,000円の商品を1人で10人に売る方が簡単な事もあるから、ニッチな商品には意味がある


作品もそんな作り方をする事は多い

でも、狙ったのとは別の層に、知らないうちに刺さってる事もけっこうある

共振現象のようなもので、狙った1ヶ所以外にも無いとは限らないのは、思わぬところで馬鹿売れした商品が度々ニュースになるから、分かると思う

ただこれ、後から考えると原因は分かるし、なぜ思い付かなかったかと思うことも多い


悪を美しく、あるいは肯定的に描くことは悪影響を与えるとか、

虐げられた人が復讐をすることをリアルに共感させるのは良くないとか、

過去何度も繰り返された指摘があった


今回のは思わぬ層と言うより、狙った層に思った以上に共感させてしまったのだと思う

これも既に指摘されており、リアルに描き過ぎないようにせよ、と言うものだ

ハロウィンで仮装していても、血糊を付けて歩くとすぐに警察官や警備員に注意される

本物の怪我人と区別が付かないのでだめ、と言う事だ


また、そもそも昔はリアルに作ろうにも技術的な限界があった

蝋人形など本物の毛を植えて毛穴まで再現したものもあったけど、さすがにコスト的にもそこまでのものを使いはしなかった

今は世界規模の予算で特殊メイクやCGを駆使できる

昔とは比べ物にならないリアルさだ


さらにあのキャラクターは死なない

負けて死んだような演出もされるものの、他の作品でまた生き生きと描かれるし、敗北感や反省などはない

現実には、犯人はこれから長い勾留と裁判、禁錮刑が待っている

その過程で何度も何度も人生と事件を反復する日々が来る

そこに想像力は及ばず見えなくなっているか、映画と同じくそれを望むようになっている

今が辛いと感じて視野が狭くなっている人に、救いの様に見えてしまうのだと思う



そんな表現力の世界の変化と社会の変化、当人の事情、様々に重なって刺さってしまい、実行に移すまでに抑止がかからない

映画のキャラクターになりきることで、普段出来ないことが出来たなら、そのファクターを外せなかったか


どうしても考えてしまう

共振をなんとかずらせないのか

心理学的に、いつかエビデンスを持って出来るのかもしれない


でも今は、クリエイター側で手探りでやるしか無い

自分もあのような事件を起こしたい、と思わせない仕掛け

これも才能があるようで直感的に出来ちゃう人もいるんだけど


個人的には、映画の主役には共感出来るのに被害者役には共感出来ず、自分が傷付ける被害者にも共感出来ないところがネックのように思える

性犯罪もそうだけど、怨恨や利害が無いのに傷付けられるのは、相手を物だと思っているからだと思われる

ならば、人を物として描くことにより慎重になるべきなんだろうし、物として描かない演出に積極的になるべきなんだろう


この点で犯罪者を描くことは、既にリスクが大きい

でも犯人の1人称であっても、被害者にも共感を持たせることは可能だと思う

自我が弱くて影響を受けやすいのだから、そこをなんとかするしかなさそう


出来たら、そんなこと何も考えずに作りたいものを作って、なにも考えずに展示し、好きなように受け止めて欲しい

それでもクリエイターとして、プロ意識による規制と言うものを、責任を持ちたいと思う

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