ヴィクトル・ユゴー「1849年平和会議」開会・閉会の辞
【原典:Victor Hugo, « Congrès de la Paix 1849 » dans Actes et paroles tome I : Avant l'exil 1841-1851, publié en 1875】
【1849年にパリで開催された平和会議にて議長を務めたヴィクトル・ユゴーによる開会・閉会演説です。ここでユゴーは「ヨーロッパ合衆国 États-Unis d'Europe」という構想を提示し、ヨーロッパ統合の歴史におけるひとつの重要な宣言となっています。もっとも、現在ではその部分のみ参照されることが多いですが、全体を読むと19世紀的な価値観も色濃く感じられます。本文中の()は原文にあるもの、〔〕は訳註です】
開会の辞
1849年8月21日
ヴィクトル・ユゴー氏が議長に選ばれる。コブデン氏〔Richard Cobden〕が副議長に選ばれる。
諸君、あなたがたの多くは地球上の最も遠い地点から来ている、心は宗教的かつ神聖な思想で一杯だ。あなたがたの中には、記者、哲学者、キリスト教の聖職者、優れた作家、そうした立派な方々が、自国の明かりとなる公的で人望に篤い方々がたくさんおられる。あなたがたはパリで、ひとつの民族の幸福だけでなく全ての民族の幸福を願う、信念を持った真剣な精神の結集を宣言したかったのだ。(拍手)あなたがたは、今日の為政者、指導者、立法者を動かす諸原理に、より高い原理を加えるために来られた。あなたがたは、謂わば、福音書の最後の、最も重要なページ、ひとつ神の子らに平和をもたらすページをめくるために来たのだ、そして、いまだ市民の友愛のみを謳っているこの都市で、人間の友愛を宣言しに来たのだ。
ようこそ!(長いどよめき)
かような思想と行動を前に、個人的な感謝の余地はない。だから、あなたがたを前に発する最初の言葉で、わたし自身よりも上に目を向けさせてほしい、つまり、あなたがたがわたしを信頼してくださるのはとても光栄だが、それは脇に置いて、あなたがたのしようとしている偉大なことだけを考えさせてほしい。
諸君、この宗教的な考え、世界平和、万国共通の絆で結ばれる国々、最高規則としての福音、戦争ではなく調停、こうした宗教的な考えは現実的だろうか?この神聖な構想は実現可能だろうか?いわゆる実証的なひとたちの多く、いわば実務者の古参政治家たちの多くが、否と答える。わたしはあなたがたと一緒に、躊躇わず答える、わたしは答えるのだ、然り!(拍手)さっそく証明してみよう。
わたしはもっと踏みこむ。わたしは、それは実現可能な目標だ、と言うだけでなく、それは必至の目標であり、せいぜい到来を遅らせるか早めるか、それだけなのだ、と言う。
この世の法は、神の法と分かたれてはおらず、分かたれてはありえない。そして、神の法とは、戦争ではなく、平和なのだ。(拍手)人間は闘争から始まった、創造が混沌から始まったように。(そうだ!いいぞ!)人間はどこから来たのか?戦争からだ、それは明らかである。だが、人間はどこへ行くのか?平和へ向かう、これもまた明らかなのだ。
あなたがたがこの高邁な真実を告げるとき、あなたがたの主張が否定されるのはいたって当然だ。あなたがたの信念を信じない者に出くわすのはいたって当然だ。混乱と分断の現代にあって、世界平和という考えが、ありえないものや空想上のものが現われたかのように驚きと衝撃を与えるのは、いたって当然だ。夢物語だと糾弾されるのは、いたって当然なのだ。そしてわたしは、この19世紀の偉大な作品の中では取るに足らない無名の働き手であるわたしは、ひとびとの抵抗を驚きも落胆もせず受け入れる。いまだにわれわれを覆っている暗闇の中で、ふいに未来の輝やかしい扉を開けたとき、ある種のまばゆさに、顔を背けたり目を閉じたりさせないことが可能だろうか?(拍手)
諸君、もし誰かが、4世紀前、村という村、町という町、州という州に戦のあった時代に、もし誰かが、ロレーヌで、ピカルディで、ノルマンディで、ブルターニュで、オーヴェルニュで、プロヴァンスで、ドーフィネで、ブルゴーニュで、こう言ったとしよう。互いに戦をしなくなる日が来るだろう、互いに兵士を召集しなくなる日が来るだろう、ノルマンディ人がピカルディ人を攻撃したとかロレーヌ人がブルゴーニュ人を撃退したとか言われなくなる日が来るだろう。あなたがたには、解決すべき紛争、討議すべき利益、解決すべき紛争が、まだたくさんあるだろう、しかしあなたがたは、兵士の代わりに何を置くことになるか知っているか?歩兵や騎兵、大砲、野砲、槍、矛、剣の代わりに何を置くことになるか知っているか?樅の木でできた小さな箱を置いて、それを投票箱と呼び、この箱から出てくるのだ、何が?議会だ!あなたがた皆が生きた心地のする議会、あなたがた皆の魂のような議会、決定し、裁定し、すべてを法に則って解決し、あらゆる手から剣を落とさせ、皆の心に正義を芽生えさせる、至高の民衆的な議会が出てきて、各々にこう言うのだ。お前の義務は終わりだ、これからはお前の義務が始まる。お前の武器を置け!平和に生きよ!(拍手)その日、あなたがたは共通の思想、共通の利益、共通の運命を感じるだろう。互いに抱き合い、同じ血族、同じ家系の息子であると互いに認めあうだろう。その日、あなたがたはもはや敵対する集団ではなく、ひとつの国民となるだろう。ブルゴーニュ、ノルマンディ、ブルターニュ、プロヴァンスではなく、フランスとなるだろう。もはや自らを戦とは呼ばず、文明と呼ぶだろう。
もし誰かが当時そのようなことを言ったら、諸君、実証的なひと、真面目なひと、当時の偉大な政治家は皆、叫んだことだろう。――ああ!夢想家だ!ああ!夢追い人だ!こいつは人間というものをまるで知らないのか?何とおかしな世迷い言、馬鹿げた絵空事か!――諸君、時は流れた、そしてこの絵空事は現実なのだ!(どよめき)
そして、ここは強調しておくが、この崇高な予言をした者は、識者たちから狂人だと言われたことだろう、神の意図を垣間見たがゆえに!(またどよめき)
さて!今日あなたがたは言う、そしてわたしもあなたとともに言う、ここにいるわれわれ皆が、フランスに、イギリスに、プロイセンに、オーストリアに、スペインに、イタリアに、ロシアに向かって言うのだ。
あなたがたの手から武器が落ちる日が来るだろう、あなたがたにも!パリとロンドンの間で、ペテルブルグとベルリンの間で、ウィーンとトリノの間で戦争なんて、今日ルーアンとアミアンの間で、ボストンとフィラデルフィアの間で思われているのと同じくらい馬鹿げているし起こりえないと思われる日が来るだろう。フランス、ロシア、イタリア、イギリス、ドイツ、大陸のすべての国が、それぞれの格別な特徴と輝かしい個性を失うことなく、高次の統一のうちに固く合わさり、ノルマンディ、ブルターニュ、ブルゴーニュ、ロレーヌ、アルザスといった、われわれのあらゆる地方がフランスのうちに合わさったのと同じくらい完全に、ヨーロッパの友愛を築く日が来るだろう。交易に開かれた市場と思想に開かれた精神のほかにはもはや戦場のない日が来るだろう。銃弾や爆弾が、投票や諸国民による全世界的選挙、偉大なる至高の元老院の敬うべき調停に取って代わられる日が来るだろう、この元老院はヨーロッパにとって、イギリスにとっての議会、ドイツにとっての国会、フランスにとっての立法議会のような存在になるだろう!(拍手)今日では拷問器具を博物館に展示しているように、大砲を博物館に展示し、そんなものが存在しえたことに驚く日が来るだろう!(笑声と喝采)ふたつの大きなまとまり、アメリカ合衆国とヨーロッパ合衆国(拍手)が、互いに向かい合って、海を越えて手を差し伸べ、製品、流通、産業、藝術、才能を交換し、地球を開拓し、砂漠に殖民し、創造主に見守られながら万物を改良し、万人の幸福のために、ふたつの限りない力、人間の友愛と神の威力を結合するのを見る日が来るだろう!(長い拍手)
その日を招来するのに400年もかからないだろう、なぜならわれわれは急調の時代に生きており、かつてない激しさで人間を引っぱる出来事や思想の流れの中に生きており、われわれの時代には一年が一世紀ぶんの仕事をすることもあるからだ。
そして、われわれフランス人、イギリス人、ベルギー人、ドイツ人、ロシア人、スラヴ人、ヨーロッパ人、アメリカ人は、その偉大な日を一刻も早く迎えるために、何をすべきか?愛し合うことだ。(とてつもない拍手)
愛し合うこと!それこそが、この果てしない平和活動において、最も神の役に立つ方法なのだ!
なぜなら神が望んでいるからだ、この崇高な目標を!そして、そこへ至るために随所で神が何をしているか見たまえ!神が人間の才能からどれほど多くの発見を引き出したか、すべてはこの目標、平和のためなのだ!何と多くの進歩、簡易化があったことか!どれほど自然が人間に手なずけられ続けていることか!どれほど物質が知性の、文明の下僕になっていることか!どれほど戦争の原因が苦難の原因とともに消えていることか!どれほど離れた国民どうしが触れあっていることか!どれほど距離が縮まっていることか!接近、それは友愛のはじまりなのだ。
鉄道のおかげで、じきにヨーロッパは中世にとってのフランスほどの大きさになるだろう!蒸気船のおかげで、かつて地中海を渡ったよりも簡単に、いまや大西洋を渡れるようになった!まもなく人間は、ホメロスの神々が天空を闊歩したように、3歩で地球を踏破するだろう。あと数年で、融和のための電線が地球を取りまき、世界を包みこむだろう。(拍手)
ここで、諸君、この広範な集まりについて、すべてが神の指によって記された努力と結果の壮大な結集について突きつめるとき、この素晴らしい目標、人間の幸福、平和について思いめぐらすとき、摂理による助けと政治による妨げについて考えこむとき、わたしの胸にはひとつの苦い所見が浮かぶ。
統計と予算比較から、ヨーロッパの国々は毎年、軍隊の維持のために20億を下らない金額を費やしており、これに軍需施設一式の維持費も加えると30億に達することが分かる。これに、200万人以上の、最も健康で、最も逞しく、最も若い、国民の精鋭たちによる日々の仕事の産物が消えたことを加味すると、その生産高は10億を下回らないと推定され、常備軍はヨーロッパで年間40億かかっているという結論になる。諸君、平和は32年間に及ぶところだ、32年間のうちに、平時に戦争のために1280億という恐るべき金額が費やされたのだ!(驚嘆)考えてみよ、ヨーロッパの諸国民が、互いに警戒し、嫉妬し、憎しみあうのではなく、互いに愛し合っていたら。考えてみよ、フランス人であれイギリス人であれドイツ人であれ人間なのだ、国家が故郷であるとしたら人類は一家族なのだと、互いに言いあっていたら。今、猜疑心によって愚かで無益に使われた1280億という金額を、信頼によって使ってみよ!憎しみに捧げられた1280億を、調和に捧げよ!戦争に捧げられた1280億を、平和に捧げよ!(拍手)仕事に、頭脳に、産業に、商取引に、航海に、農業に、科学に、藝術に、1280億を捧げよ、その結果を想像してみよ。もし、この32年間、1280億という莫大な金額が、アメリカで、ヨーロッパを助ける形で使われていたら、どうなっていたと思うか?世界の様相は変わっていただろう!地峡は切られ、川は拡げられ、山は貫かれ、鉄道は両大陸を覆い、世界の商船は100倍に増え、もはやどこにも荒地や休耕地や沼地はなかっただろう。いまだ無人の地に都市が築かれただろう、いまだ岩礁しかない場所に港が作られただろう。アジアには文明が戻り、アフリカには人間が戻っただろう。全人類の働きによって地球のあらゆる道筋から富が噴き出し、貧困は消滅していただろう!貧困とともに消えたであろうものは何か、知っているか?革命だ。(長い喝采)そう、世界の様相は変わっていたのだ!互いを引き裂くのではなく、平和的に全世界に広がっていた!革命ではなく、殖民していた!文明に野蛮を持ちこむのではなく、野蛮に文明をもたらしていた!(また拍手)
諸君、戦争に夢中になることで、国々や指導者たちがどれほど盲目になっているか、見たまえ。もしヨーロッパが32年のあいだ存在しなかった戦争に捧げた1280億が、存在した平和に捧げられていたら、言ってしまおう、声を大にして言おう、いまヨーロッパで見られるようなことは何も見られなかっただろう。大陸は戦場ではなく工房となり、痛ましく恐ろしい光景、つまりピエモンテは打ち倒され、永遠の都ローマは人間の政治の哀れな動揺に翻弄され、ハンガリーとヴェネツィアは雄々しく戦い、フランスは安定せず貧しくなり黒ずんでいる、貧困や不幸や内戦や前途不明といった、こうした不吉な光景の代わりに、われわれの目の前には希望や歓喜や慈愛、皆の幸福へと向かう万人の努力があり、活動中の文明から発せられる世界的融和の偉大な輝きをあちこちで見られただろう。(そうだ!いいぞ!――拍手)
考えるに値することだ!革命を招いたのは、われわれの戦争に対する用心である!想像上の危機に対して、すべてを尽くし、すべてを費やしてきた!こうして、本当の危機である貧困を悪化させたのだ。架空の危険に対して備えを強化してきた。到来しない戦争を見て、到来する革命を見なかった。(長い拍手)
諸君、しかし絶望はするまい。逆に、かつてなく期待しよう!一瞬の衝撃、偉大な誕生におそらく必要な動揺を、恐れるがままでいてはならない。われわれの生きている時代に不当な評価を下してはならない、われわれの時代を実態と異なって見てはならない。いずれにせよ非凡で驚くべき時代なのであり、19世紀は、声を大にして言おう、歴史上最も偉大なページとなるだろう。ついさっき思い返してもらったとおり、あらゆる進歩が起こり、ある進歩が別の進歩を導きながら、いちどきに現われている。国どうしの憎しみの減少、地図上の境界線や心うちの偏見の消滅、統一への志向、風紀の温和化、教育水準の向上と罰則水準の低下、最も文学的な、つまり最も人間的な言語による覇権。すべてが同時に動いているのだ、経済、科学、産業、哲学、立法、そして同じ目標へ、幸福と慈愛の創出へと収束している、つまり、そしてこれはわたしが常に向かうであろう目標でもあるが、国内においては貧困の、国外においては戦争の消滅へと向かっている。(拍手)
そうだ、最後に言う、革命の時代は終わり、改良の時代が始まるのだ。諸国民の向上は、暴力状態を離れ、平和状態となる。摂理が、煽動者たちによる無秩序な行動を、調停者の敬虔で冷静な行動に置き換える時代が来る。(そうだ!いいぞ!)
これからは、偉大な政治、真の政治の目的とは、このようなものだ。すべての民族を承認させ、諸国民の歴史的統一を回復させ、その統一を平和のうちに文明へと復帰させ、絶えず文明の輪を拡げ、いまだ野蛮な民族に模範を示し、戦闘を調停に換え、つまり、すべてをひっくるめて言えば、かつての世界は力によって勝っていたが、正義によって勝つようにさせることなのだ。(深い昂奮)
諸君、最後に言う、この考えがわれわれを励ましてくれる、人類がこの摂理の道を歩むのは、今日に始まったことではない。われらが古来のヨーロッパでは、イギリスが最初の一歩を踏み出し、百年前の先例によって、諸国民に、あなたがたは自由だと言った。フランスは二歩目を踏み出し、諸国民に、あなたがたは主権者だと言った。今、三歩目を踏み出そう、フランス、イギリス、ベルギー、ドイツ、イタリア、ヨーロッパ、アメリカ、みな一斉に、諸国民に言おう、あなたがたは兄弟だ!(とてつもない歓声――弁士は拍手の中で着席する)
閉会の辞
1849年8月24日
諸君、あなたがたはわたしに歓迎の言葉を述べさせてくださった。お別れの言葉も述べさせてほしい。
ほんの少しだけ話そう、時間も遅くなったし、規則の第3条を覚えている、議長に警告されるようなことはしないので、ご安心いただきたい。(笑い〔議長はユゴー自身なので〕)
われわれは散り散りになるが、心はひとつでいよう。(そうだ!いいぞ!)われわれは今、共通の考えを持っているのだ、諸君、共通の考えとは、いわば共通の祖国である。(昂奮)そうだ、今日からは、ここにいる全員、われわれは同胞なのだ。(そうだ!いいぞ!)
あなたがたは3日間、叡智と矜持をもって、重大な問題を審議し、検討し、掘り下げ、そうした人類の取り組みうる最高の問題について、あなたがたは自由の民の偉大な行ないを気高く実践してきた。
あなたがたは政府に対して提言をした、好意的な提言だ、政府も聞くであろう、疑うことはない!(そうだ!いいぞ!)あなたがたの間では説得力のある意見が上がり、人間や民族のあらゆる高潔な感情へ向けて勇敢な呼びかけがなされた。あなたがたは、先入観や国どうしの反目にもかかわらず、ひとびとの心に世界平和の不滅の種を植えつけたのだ。
われわれが何を見ているのか、われわれが3日間何を目にしてきたか、お分かりだろうか?フランスと握手するイギリス、ヨーロッパと握手するアメリカだ、わたしはこれ以上に偉大で美しいものを知らない!(はじける拍手)
さあ、家に帰って、喜びに満ちた心で国に戻って、フランスの同胞たちのところから来た、と言うのだ。(どよめき――長い拍手)そこで世界平和の基礎を築いてきたのだと言って、この朗報をあちこちに広め、この偉大な思想をあちこちに蒔きたまえ。
立派な意見を聴き終えてなお、あなたがたの説明や論証されたことに再び入りこむつもりはない、ただ、この盛大な会議を閉じるにあたって、わたしが開会のときに述べた言葉を繰り返させてほしい。希望を持て!勇気を持て!ひとびとはあなたがたの空想と言い、わたしはあなたがたの所産と言う、決定的で大きな進歩は、実現するだろう。(そうだ!いいぞ!)すでに人類の進んできた一歩一歩を考えてみよ!過去を見つめるのだ、過去はしばしば未来を照らしてくれる。歴史を開いて、そこから信じる力を引き出すのだ。
そう、過去や歴史がわれわれの支えなのだ。実際、今朝、この会の冒頭で、尊敬すべきキリスト者の弁士(マドレーヌ教区司祭ドゥゲリー〔Gaspard Deguerry〕のこと)が、誠実な人物かつ愛に溢れた司祭の堂々たる感動的な雄弁であなたがたの震える魂を引きつけていたとき、名前を忘れてしまったが、この会議のある参加者が、今日という日、8月24日が聖バルテルミの祝日であることを、彼に思い出させた。カトリックの司祭は、立派な顔を背けて、この嘆かわしい記憶を拒絶した。なんということだ!この記憶を、わたしは受け入れる!(深い感銘が広がる)そう、受け入れるのだ!(長いどよめき)
そうだ、確かに、277年前の今日、パリは、あなたがたのいるこのパリは、真夜中に恐怖で叩き起こされた。銀の鐘と呼ばれていた鐘が司法宮に鳴り響き、カトリック教徒が武器を持って駆けつけ、プロテスタント教徒は寝込みを襲われ、不意打ち、虐殺、宗教や世俗や政治といったあらゆる憎しみを混ぜあわせた殺人、忌まわしい大罪が犯された。さて!今日、同じ日、同じ都市で、神はこれらすべての憎しみを一堂に会させ、愛に変わるよう命じた。(万雷の拍手)神は、この不吉な記念日から陰鬱な意味を取り除き、血にまみれた場所に一筋の光を差し伸べ(長いどよめき)、復讐や狂信や戦争といった考えに代えて和解や寛容や平和といった考えを置かれた。そして、神のおかげで、神の意志によって、神によってもたらされ導かれた進歩のおかげで、まさにその運命の日である8月24日に、いわば、今も立っている聖バルテルミの鐘を鳴らした塔の程近くで、イギリス人とフランス人、イタリア人とドイツ人、ヨーロッパ人とアメリカ人だけでなく、さらには教皇礼讃派と呼ばれた者たち〔プロテスタント教徒によるカトリック教徒の蔑称〕とユグノーと呼ばれた者たち〔カトリック教徒によるプロテスタント教徒の蔑称〕が、互いを兄弟として認めあい(長いどよめき)、もはや分かたれることのない緊密な抱擁で結ばれるのだ。(万歳と拍手の爆発――ドゥゲリー神父とコックレル牧師〔Athanase Coquerel〕が議長席の前で抱き合う。――議場や傍聴席で拍手が大きくなる。――ヴィクトル・ユゴー氏が再開)
さあ、進歩を否定してみよ!(また拍手)しかし、よく知っておくがよい、進歩を否定する者は不信心であり、進歩を否定する者は摂理を否定している、なぜなら摂理と進歩は同じことであり、進歩とは永遠なる神の人間による呼び名のひとつに過ぎないのだ。(深い感動が広がる。――そうだ!いいぞ!)
兄弟たちよ、わたしはこの拍手を受けとめ、未来の世代に捧げる。(再び拍手)そうだ、この日が記念すべき日となりますように、人間の流血の終わりを示す日となりますように、虐殺と戦争の終わりを示す日となりますように、世界の融和と平和の始まる日となりますように、そしてこう言われますように。――1572年の8月24日は1849年の8月24日の下で消えてなくなる!(長い満場一致の拍手――感動は最高潮に達し、四方から喝采が飛び交い、イギリス人やアメリカ人は立ち上がって弁士にハンカチや帽子を振り、コブデン氏の合図で万歳七唱する。)
(訳:加藤一輝)