早いですが年賀状問題について。

年賀状ってさ、家族やペットや人生イベントがある人にしか向かなくない?
ネットをだらだら見ていて、早くも年賀状広告があり思う。

いやそもそも、年賀状の定義よ。自分が今まで年賀状をもらってきた経験上、結婚しました、子供が生まれました、その後は子供の成長もしくは家族旅行のお披露目的な。そんな風にするものっていう固定概念がある。

だから独身が長かったので、毎年もらうのは良いとして、自分には何にも報告したりお知らせしたりするような事が無いなぁ・・・となって、出さなかったり、出す人を減らしたり、億劫なものとして認識していた。もらうと嬉しいんだけどね~。相手の近況が知れて。

世の中の独身やもしくは家族に先立たれて独り身や、別れて独り身のひと達は、年賀状を出してこなかったのか、出せなかったのかと考えるとそんな訳無いわけで。年賀状を素敵な幸せ報告状でないといけない、という私の思い込み、定義が間違っているんだけど。

と言いつつ、40半ばも過ぎて結婚して、私にもやっと年賀状のネタができた!と秘かに喜んだのは否めない。やっと、ラブラブな(死語)夫婦が垣間見える写真とか載せられる!と。今まで家族写真や子供の写真をもらうだけで、その幸せ自慢みたいもの(思い込み)に対抗できない事に、歯噛みして羨ましく思ってた積年の恨み(?!)のリベンジだ!みたいな。

じゃあ、改めて独身だった時の私の年賀状はどんな風にしてたっけ、と振り返るに。一応デザイン美術科出身なので、イラストやデザインで勝負、もしくは自分の趣味の習い事などの発表会写真を載せて、充実してますアピールしていたような。普通にデサインで面白がらせたいし、近況報告としてという気持ちもあったけど、デザインセンスあるでしょ、とか、趣味で充実してるでしょ、とか、やっぱり心のどこかで張り合うような気持ちはあったと思う。
ちなみに友人がほぼいない、というか年賀状だけのやりとりの人を含め、独身の子でまだやりとりしてるのは一人だけなので、サンプルが無いに等しいが、その子もデザイン職なので、デザイン勝負の年賀状になってたな。

だが時代はもはや年賀状離れ。今年の10月から切手代が上がって、いよいよ紙で年賀状出すのコスパ悪すぎない?という事に。年賀状終いというのかな、来年からは遠慮します宣言してくる人もいたしね、実際。

結婚しましたハガキと、昨年の年賀状はネットのフジカラープリントでレイアウトして、高いお金をかけて作って出したのだった。結婚しましたハガキは反響が大きかった。数少ない友人には、この年齢で結婚報告受けるとは!と興奮してもらっていたようだ。素敵なメッセージカードをもらったり、お祝いの品を贈ってもらったりした。ありがたい。

で、来年の年賀状どうするか。今年はあちこち出かけたり旅行もした。その度に頭の片隅に(年賀状用の写真に使えるな)という魂胆があって、それように撮っていた。有名なお寺へ藤棚を見に行った時は、お土産屋さんの女性が当たり前のように、藤棚を背景にお二人撮りましょうか?と言ってくれて、内心やったー!貴重なツーショット!と喜んだ。

そう、夫婦で写真を撮ると言っても悲しいかな、お互いを撮るしかなくて、人に頼んだりしないとツーショットが撮れない。旦那さんはカメラが趣味だけど、ツーショットを撮ることには関心が無いようだ。そりゃそうだ。私のように年賀状→積年の恨みのリベンジ→幸せ自慢→そのための写真集め、という思惑じゃないもの。

まぁ、魂胆だの思惑だの、年賀状にそこまで言わなくても良いのかも知れない。数少ない友人たちには、ああ、晩婚で、夫婦仲良くあちこち旅行して楽しそうだな、幸せにやってんだな~って、少し笑ってほっこりしてもらいたい。ああ、老けたなぁ、とか、旦那さんはこんな感じなのか~とか。リアルでは会ってないけど元気そうにやってんなーって。

で、冒頭に戻る。ネットの年賀状アプリへの誘導広告だよ。まんまと今なら印刷代何%オフという文字に踊らされて、ちょいと見てみようかと。アプリもダウンロードして撮り貯めてた写真をレイアウトしてみる。写真説明のキャプションも入れたりして。良い感じのが出来上がった。正直、オジサンオバサンの我々ふたりの写真なんか、アップでは載せたくないし、印刷してわざわざ送るのも少し面映ゆい。

レイアウトが完成した画面が出る。その画面をスクリーンショットする。この画像を添えて来年はLINEやメールで、年賀状代わりにしようかなと思いついた。このくらいのサイズ感なら、2人の写真や1人づつの写真でもしつこくないし、画面をズームしてもバキバキに鮮明なわけじゃないから恥ずかしくない。

本来、個人的な思い出や記録は人様にお見せするものでは無かったはず。今やネットのおかげで、総カメラマン&編集者&ライターというので、ありとあらゆる他人の思い出や経験や記録がシェアできる時代になって「人様にお見せするものじゃ」なんていうのも、固定概念でしかないんだろうなぁ。もちろん、自分だって活用してるし、どこまでを書いて、という線引きは意識してるけど。

年賀状というキーワードで、魂胆だのリベンジだの、もらったり出したりするときの改めての思い、個人的な思い出は本来、などの固定概念のアップデートなどなど、意外に芋づる式に展開してしまったのだった。

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