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Marinaの生まれてから今に至るまで

これからいろんな人に自分のこと知ってもらいたいので、生まれてからのすべての経歴ここに書かせてもらおうと思います!

0歳

生まれは東京

0歳3ヶ月 日本

ロンドンに飛びます。飛行機でめっちゃうんこしたらしいです。

〜3歳 3年間 イギリス

ロンドンで過ごす。このときはあんまり英語覚えなくて、結構日本語だったらしい。

3歳〜6歳 幼稚園3年間 日本

日本帰国。幼稚園に行く。幼稚園の友達は今でもつながってたり家族ぐるみで仲良くしたりするくらいなの。そしてずっと担当だった先生のことが大好きで先生もMarinaのこといっぱいお世話してくれてたんだけど、Marinaが中学の時に若くして死んじゃったの。でも今でも大好き。だから幼稚園は大事な時期だった。

あとは、すっごくかわいい幼稚園児だった。かわいいかわいい言われすぎたし、キッズモデルもやってた。Marinaはかわいいっていっぱい言われたいんだけど、それはこのときに言われすぎたからだと思ってる。

小1〜小6 小学校6年間 イギリス

ロンドンの現地校で育つ。

歌、ピアノ、ミュージカルを好きになったりやるようになったのがこの頃。

性格は承認欲求強めで仲間外れにされるのがだいっきらいで悲しかったのをすごく覚えてる。友達の誕生日パーティーに呼ばれず、ままに泣きながらお願いして、ままが直接その子のお母さんに頭下げてパーティーにいれてもらう、とかね。

サッカー好きって言うみんなに言ってる嘘みたいな本当の話:ドログバの息子と同じクラスだった。

基本的にはのほほんと過ごして、学校で歌やったりして楽しく過ごしてたかな。

中1〜中3 中学校3年間 日本

帰国子女入試で私立の女子校に入った。みんなとめっちゃわいわい仲良く楽しくできた。まじで中学生の時の私が一番自分らしかった。っていうのは、マジでアホなことしかしてないし考えてない。スープを飲むという難易度の高い早弁技でマウントとったり、最寄り駅が一緒の友達と最寄りの駅で電車から降りて、でも改札出ずにホームのベンチにスマホ置いて二人でめっちゃふざけてる動画を撮りまくるという、そんなかんじのクソガキでした。古典はいつも赤点、現代文もだいたい20点、定期テストは300人中下から数えて4番目くらいだった!!

あと、性にしっかり目覚めたのはこれくらいだと思う。なんでかはわかんないけどなりゆきで。

高1〜高4  高校4年間 ロシア

そう、高校って海外4年間あるんよね。てことでインターナショナルスクールに4年いってました!だから英語で過ごしてたからロシア語はほんのちょっとしかできませんw

ここでは毎年ミュージカルでメインキャストやらやらせてもらってました。オーディションしたり稽古したり、いっぱいステージに立つ機会をくれた音楽の先生に大感謝です。

中学校の時の私とは少し性格が変わり、なんというかこじらせてました。家では誰とも話さず部屋にこもって映画とドラマをみまくってました。学校でも友達はあまりつくらず一人でいかった時期です。なんとなく人と距離置いたり、なんか自分にフォーカスして深い思考を行いたい時期でした。

  • ここがターニングポイントで、高2くらいのときのまりなの初体験がトラウマとなり鬱を発動します。全然レイプとか性暴力とかやばいことじゃないんだけど、自分にとっては大きな出来事で。内容は、好きな人には付き合っている人がいて、でも仲良くなれて、身体の関係になって、その時私は無知で身体の関係になれたってことはこっちに乗り換えてくれるってことだとおもって嬉しく思っていたら、そうじゃないよと言われ、ただ身体を利用された気持ちになり鬱になってしまったんです。

残りのロシア生活は、うつの症状としては少し不眠症になって少し動機がするようになったくらいでした。行ける病院もなく、親には正直に話し相談しサポートしてもらえました。

最後のほうはコロナに突入し、ステイホームなのにという矛盾ですが初めてのちゃんとした恋人ができます。関西に住んでいるひとで、オンライン(ゲーム実況配信アプリの雑談機能を使って雑談をしていたらオンラインで6人くらいで仲良くなり、そのうちの一人のことを好きになりました。)で付き合います。

大1〜大4  日本

→大1〜大2

早稲田大学に入学し、日本に帰ってきました。1年生の最初の半年は自分の希望もあり、家族はまだロシアにいたため一人暮らしをしていました。コロナ直撃世代なので、オンライン授業と楽しめないサークルで鬱が悪化しました。

映画サークルに少しだけ入っていました。このときの自分は映像系の役者になることを志、親に頼んで高いお金を払って育成所に所属し、自主制作映画にださせてもらったりしました。ですが体調面で断念することになりました。

恋人は関西に住んでいるので遠距離でつらいこともあり、鬱は悪化しました。不眠症、動悸に加え、気持ち悪さ、はきぐせ、拒食、夜通し泣きわめく、などなど。半年経って家族も帰ってきて一緒に住み、いっぱい迷惑かけました。

ここからは鬱脱出劇です。一番ひどかったのが大2で、大3から徐々によくなっていきます。鬱でも意志だけは強いので、なんで自分だけこんな思いしないといけないの?という気持ちから必死に行動して何でもやるからとにかく抜け出してやるという精神でした。

いろんなことしましたが、例えば以下の様に図をかいてみたり、鬱の要素をすべて洗い出してなにができるか明確化しました。そんなこんなでここからは色々行動します。

鬱の要因洗い出し

主にこの5つをやりました:

  1. まずは性についての知識をつけること

    1. 鬱のきっかけとなったトラウマは性の知識不足によって招かれたものでもあると考え、トラウマは自分が混乱して身に起こったことを理解できない状態から来ているとも言えました。なので、性教育の勉強、ジェンダーの勉強、フェミニズムの勉強。いろんな勉強をしました。現に、早稲田でもジェンダーの授業ばっかりとっていました。これは本当に自己理解につながりました。1自分の身に起こったことを理解できたこと2自分が性、恋愛、対人関係において何を求めているかを明確化し言語化できたこと3世の中にどういう人がいるかわかったことの3つが大きかったです。

  2. 鬱についての知識をつけること

    1. メンタリストdaigoの無料の動画をみまくって実践できることは実践する。ままにそれこそ動画見まくって勉強しすぎておかしくなってるんじゃないの?って心配されるくらいひたすら必死でした。考え方のくせを治して鬱っぽい思考から抜け出すこと、アサーションコミュニケーション、感情に左右されない考え方、瞑想の方法など、色々知識をつけて実践しました。その内容よりもどちらかというと自分の意志できちんと行動すればどんな状況を変えられるという事実が自信になってよかったかなって思います

  3. 孤独から抜け出すこと

    1. ファミリーみたいな結束力のあるコミュニティーの所属すること。これは意識してバイトでそれを求めてみたりなにかしらコミュニティー系に積極的に参加したりしましたが、ほんとうに労力使うし大変だし、全然みんなと仲良く慣れませんでした。ですが、大4になってやっとミュージカルの学生団体に所属し、家族みたいな仲間ができ、これが叶いました。元気になれた大きな理由の一つです。

  4. 自信をつけること、漠然とした不安をなくすこと

    1. 見た目の自信。身体と心はまりなの場合すごくつながっていて、自分が自信を持つためにきれいな体を努力して手に入れることで自信がついた。好きな服も着れるしうれしい。

    2. 自分の人生をコントロールできる自信。傷ついた原因をしっかり把握し、繰り返さないようにすることはすごく重要でした。それがわかることによってもう大丈夫っておもえるし、もちろんじいちゃん何を送るか分かんないし、自分のいつまた死にたいって思うまで辛い気持ちになるかわからないけど、根拠のない自信を持てるまで再現性を持って日々を幸せに生きることで少しずつ改善していきました。根拠のない自信

    3. 自分に価値があると思えること。これは本当はもちろん自分が自分自身で自己完結して価値があるって思えると1番左右されないけど、私の場合、社会にとって自分がいることで何か変わるかとか、そういう意味で価値を見出そうとして努力しました。例えば自分にしかできない事は何かあって考えて行動したりしました。こういうせいについてのことで鬱になったことを利用して、被害性暴力を減らす活動をいっぱいしたり(長期インターンやNGOでの活動)、自分のについて、対人関係についての悩みを減らすために、企業を試みたり、ビジネスコンテストに出ることができたり、いろんな経験をさせていただきました。これらによって人に頼られることだったり、人の役に立てることが、自分でも耳に染みてわかって、自分には価値があるって潜在的に思えるようになりました。

    4. 将来に自信があること。将来何がしたいかと言うふうに生きていきたいかが、明確じゃないと漠然とした不安が残ります。やりたいこと、何をしてると1番幸せか、自分が何が得意かなどを明確化し、自分の将来を回想度高く明確化しました。

  5. 生活習慣改善で身体的な面から鬱を変える

    1. 身体をひきしめるために、見た目のために筋トレや運動することもそうだけど、シンプルに1身体を動かすこと2おひさまを浴びること3きちんとシタンバランスの取れた栄養をとること、これらの3つは自動的にやると鬱から抜け出せることになるので大事でした。もちろん心療内科に通って薬服用することも含まれる。

これらを全部同時並行したらこんなにも元気になりました!w自分としっかりと向き合うことって大事ですね。

→大3〜大4

大3は鬱から抜け出すべく必死に上の条件に当てはまるようなことをこなしていました。「セクシャルウェルネスアクティビスト」を謳って、起業を試みたり、NGOで働いたり、インターンしたりしました。

詳しく書くとめちゃくちゃ長くなるのでまた別の記事で。

大4になってだいぶ症状も治まってきた頃にミュージカルを再開しました。3ヶ月で英語でミュージカルを作り上げると言う学生団体に参加し、ありがたいことにメイン内の1人の役をさせていただきました。ロシアにいた頃が最後にステージに立った時なので、4年ぶりに、舞台に立つ楽しさ、みんなと何かを作り上げる楽しさ、切磋琢磨してぶつかって涙流して爆笑して、すごく一生懸命生きてる感じがしたんです。それがきっかけでもう私はこれからの人生、これしかやってきたくないと決意しました。

これから

9月に卒業式を控えていますが、これからどう生きていくかがこちらです。

ミュージカル役者
インフルエンサー
ガルバ店員

この三足のわらじを履いていきます。

役者は上に書いたとおりですが、インフルエンサーは自分のジェンダー、フェミニズム、性の知識や自分なりの哲学を発信してみんなをより生きやすく、楽しく自信を持って生きれるようなヒントを発信したいと思ってやっています。また、夜のお仕事、ガルバ店員は色々性についての勉強もありきで抵抗がないのと、自分の根本に性的に魅力的なところを知ってもらえることが嬉しく自信になるというのがあります。なのでそういうところを仕事にできて、すごく楽しいです。自己理解の上選択し、行動している自分がかっこいい!って思えるようにこんな経歴でやっています。

自分が望むことをなんでも選択していい。行動して最上級の幸せを手に入れる。鬱でどん底を味わったからこそ、そんな私には人並み以上の幸せを味わう権利があると思って、幸せを妥協しません。

こんなMarinaですがここまで読んでもらってありがとうございます!これからも精一杯生きていきます!!

Marina 
2024, July


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