柿の実は鮮やかだが
通勤電車の窓から、点在する柿の実が鮮やかに見える、と書いたものがあった。12月の初めに書かれたものなので、その柿は獲られることはなく、そのままにされる柿だろう。会津では、どこの家でも畑の周辺に柿を植えていた。甘柿もあったが渋柿もあった。秋が深まってくると、子ども達は柿の木の下に行って柿の実の色づき具合を見る。青いものはさすがに手を出さないが、だんだん赤みがさしてくるともぎ取って試食する。まだ頂点は甘いが、下の方は渋いのが殆どだ。今のようにいろいろなお菓子などないその当時は、柿の実が甘くなるのが何よりも楽しみだった。渋い柿も焼酎をかけて渋抜きするが、それは子どもにはできないので、大人の手が空くまで待つしかない。実をもぎ取っても高い枝の先は届かず、残ってしまう。それは渡り鳥の餌になるとか、木の神様に来年の豊作を願って捧げるものだとかいろいろ言われるが、昔はそんなことは知らなかった。ただ木の枝に2つか3つ残しておくのが普通だった。食べ物の少なかった頃、柿の皮をむいて食べ、皮は干して食べたり、煮物の甘味をとるのに入れたりした。昔は、どこの家にも子どもが3~4人いて、柿も残さずもぎ取り食べたものだ。竹竿の先に木の枝をしばりつけ、柿の実の近くの枝をはさんで、ギリギリとねじって取る。大変だけれども、それが楽しみだった。今は柿に拘らなくても、年中いろいろな果物があり、どれでも選んで食べることができる。苦労して渋柿を取り、手をかけて渋抜きをしたり、干したりして食べる人はいないだろう。ご主人を裏切らずに実をつけた柿は、必要とされない現実をどう思っているのだろうか。
(24.1.3)
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