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      開戦記念日に

 言われて気が付ついたが、今日は太平洋戦争開戦の日。一途に上部からの命令に従って「欲しがりません、勝までは」と唱えごとのように言ったり、竹やりで敵が攻めてきたら突く訓練をしたり、バケツリレーで爆撃されたところに水をかける訓練をしたり、と今考えると見当違いなことをしていた。日本の国を守るためにと言われ、末端の我々は勝つか負けるかなど考える余裕もなかった。余裕がないというよりも、考えることを許されなかったというべきか。鬼畜米英と思いこませられ、朝鮮人は卑しい人種と思いこませられ、疑いもしなかった。今になってみると、本当に馬鹿なことの連続だ。その中で日本は勝てない、この戦争が日本のためにならないことを早くから見抜き、戦争を早期終結させようと奔走した人達がいたことは後で知った。日本がこれ以上傷を深くしないようにと、日本だけでなく敵国であったはずの外交官達が話し合って、終結への働きかけをした。その効果はあったのだろうが、その働きをした人達は、日本を売ったと軍部の関係者に何年間も追われ続けたそうだ。当時の軍部は、なぜそのように戦争へ戦争へと急いだのだろうか。まだ小さく、事の良し悪しを考え判断することができなかった私は、世の中の大勢に流され、言われたことを信じきっていた。このようなことは、今の世の中にもあると思う。判断力のない人を一方的に押し流していく力がよいものであればよいが、悪いものであれば恐ろしい結果になってしまう。あんな狂気の時代が再び訪れることがないようにと願うだけである。
                                                  (H23.12.8)


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