「くべる」ということ
「ある行為がすたれるために、忘れられていく動詞がある」として『くべる』という言葉を取り上げていた。『くべる』というのは、燃やすために火の中に物を入れることを言う。
私は、『くべる』というのは方言だと思っていた。「囲炉裏に木をくべる」とか「竈に薪をくべる」とか「ストーブに石炭をくべる」とか、子どもの頃はごく普通に耳にしていた。炎に接する機会もあった。すべての煮炊きは囲炉裏の火であった。いらない物を燃やすこともあった。正月が明けると雪が積もっている畑に、家ごとに大きな藁を集めたものをて、しめ飾りや前年度の お札を巻いて燃やした。「歳(さい)の神」と呼び、正月を締めくくる行事だ。その火でお正月中に神棚に備えた餅を焼いて食べると病気をしないといい、長い棒の先に餅を刺して火にかざして焼く。真っ白に雪の積もった田んぼや畑、夜の闇の中に点々と温かい炎が見える光景は、何ともいえず美しかった。会津の新春の風物詩といってもいいのではないだろうか。
浜通りに来ると、それは「鳥小屋」という行事なのだそうだ。子どもたちのために子ども会や地区の人たちが小さな小屋を建て、甘酒や豚汁を作って楽しみ、最後に小屋を燃やして終わりになる。古い悪いものをすべて燃やして幸せを願う行事だったが、有害な物質を発生させるということで物を燃やすことは禁じられ、明々と人々の頬を照らした炎も消えた。
湯船より 一くべ頼む 時雨かな (川端 茅舎)
一人退き 二人よりくる 焚火かな (久保田 万太郎)
という美しい句の情景も、赤い炎があってこその句だ。
人間は火を焚く動物だった。
だから火を焚くことができれば, それでもう人間なのだ
という詩があるそうだ。
火は温かく、煮炊きだけでなく溶接、発電など用途は大小限りがない。だが使い道を誤ると命にかかわることにもなる。だからこそいろいろな規制も出てくるのだろうが、すべてを『くべる』ことで、すべてが解決ということでもないと思う。『くべる』ものを選ぶことも大切なことだと思う。したがって『くべる』ものを選ぶの人責任も重くなる。
火を囲んでできる人の輪、そこから生まれる人の和が消えることがないようにと願う。
(H22.2.13)
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