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【Legacy Ocean Report】#12 機械の中の亡霊

さざ波の音で、私は目を覚ました。

一番大きなアームを砂浜に半ばめり込むように突き立て、上体を起こす。6本の脚を放射状に広げて体を安定させ、首を持ち上げる。そこにあったのは身の丈2.5m、警備用ドロイドをモチーフに作られた一品物の大型アバターだった。

頭が痛い、寝違えたか、ヘッドセットを着けたまま寝落ちしたりするからこうなる。しかし妙に泥の感触が生暖かい、まさか…いや、上も下も駄々漏れってことはない。とりあえずヘッドセットを外してシャワーでも…あれ?

おかしい、手を動かそうとしてもアバターの手が動くばかりで私自身の手が動かない。どうなってるんだこれは。両手は何度も首や喉元を掠め、一向にヘッドセットを掴んでくれない。

私は回りを見渡した。ここはトッシャーシティ最西端のロンリービーチ。その名の通り人気がほとんどなく、あちこちに旧時代のものと思われる残骸メモリーが捨て置かれるように転がっている。私は落胆し、三本指のアームを眺めた。

メガロチェインのエンタメシステムには、一時的に体験者の五感を誤認させるものがあると聞いたことがある。ヴェイパーライダーにいると頭がぼんやりしてくるのがそれらしい。だがむしろ今の私は、二日酔いに似た頭痛に頭を締め上げられている。頭を実際に締め上げている筈のヘッドセットはどこだ。

私はギクシャクした動きで歩きだした。しばらくすれば目が冴えて、なんとかなる。このときの私はまだ能天気なもので、事の重大さに全く気づいていなかった。六本の足を放射状に生やしたこの体は走るのには向いていない、そこまで考えた所で胴体下の車輪の存在に気付き、砂浜を脱した所で滑走体勢に入った。

自分で言うのも何だがこの体は良くできている。移動コマンドを読み取って巧みに脚を配していく歩行システム、長い首を動かしてほぼ全周に及ぶ視界、道路移動用の車輪に滑空用のグライダーまで仕込んである。陸海空を征する体にはプロユースの電子調査用仮想デバイスや自衛用火器を積んだロマンの塊、開発に2年以上掛けた自慢の体は今、ヘッドセットが取れないと落語のような真似に喘いでいる。

風が気持ちいい、沖合のグラファイトブロウとは違う、南欧を忠実に模した風の感覚。これが感覚誤認だとしたら、外の私は今どうなっているのだろう。さぞ間抜けな面を晒しているのだろうな。

私は人通りの多い中部エリアに着くと、観光エリアのミニゲームに興じた。元々この手のものには興味がないしさして上手くもない、だが感覚を取り戻すにはちょうどいい余興だ。私は小さな熊のぬいぐるみのアイテムを景品として何とか確保し、モバイルインベントリに放り込んだ。

丸一日街中を歩き回った。沿岸エリアの波止場から海に飛び込み、未だ50センチ以上積もっているダストを掻き分けて海底を走った。電界ヘキサグラムの下手くそなDJが垂れ流す、十年は昔のシンセボーカルの爆音に身を晒した。オオブシ100%を謳うネギトロオブジェクトを3つ買って口のなかに次々放り込んだ。美味しいがあの謳い文句は絶対に嘘だ、虹色サザエ特有の風味がほのかにする。

午後6時、外界に正確に同期した夕日が港を照らした。二メートル半の巨体が伸ばす影が、後方をどんどん飲み込んでいく。私は、まだヘッドセット一つ外せずにいた。

私は、徐々に不安に飲まれ始めていた。もしかして、一生このままではないのか。というかこのまま外の体を動かすことが出来ず、飢えて死ぬのではないか。いやだ、最後の晩餐が全く腹を満たしてくれない食品偽装寿司だなんて。

私は日没と同時に波止場を離れた。胴体下のスラスターに点火して真上に浮上、100m程上がったところで手と脚の位置を入れ替えてグライダーを展開し、ドラゴン型に変形する。このロマンアバターの最高峰だ、だが悦に浸っている余裕はとうに無くなっていた。目指すは高台の統括エリア、問い合わせ事務所がそこにある。

午後7時。問い合わせ事務所はAI受付員のおかげで24時間対応してくれる。現実の事務所なら暇な老人のおかげで5人は待たされるが、この受付は相手が5人いたら化身を5つに増やして対応するので全く問題がない。
「いらっしゃいませ、御用件をどうぞ。」
無機質だが事務職にふさわしい言葉に、武者震いして答える。
「ええと、ヘッドセットが外せなくなって…手を動かしても掴めないんです。」
AI受付は宙に浮かぶ複数のモニターに目をやる、実際はその必要もないのだろうが。
「…端末の不具合という事でよろしいでしょうか?」
受け付けは困惑して見えた、当たり前だこんな珍妙な話を持ち込んでくる奴などいないであろう。AIとは前例の無い事には弱い、実際は人間も大概弱い。

「IDコール『Vostok』、ボストーク様ですね。ホームコンティネント『アイアンメイデン』。」
そこまで言ったところで、セーラー服姿の受付ロボは首を傾げた。
「……おかしいですね、端末情報にアクセスできません。」
そんなはずはない、今まさに私はこの受付のことが見えているし、腕も自由に動く。
「お客様の方で端末を物理的に操作できないとなると、端末のソフトウェア再起動をして頂くしかないかもしれません。」

ソフトウェア再起動、それだ。私はすぐさまメニューを開き、設定の電源操作から再起動コマンドを打とうとする。しかし、設定のコンソールパネルには電源操作がなく、代わりにグリッチが派手にかかって原型を失った画像らしきものが映っている。
「…電源コマンドが、打てない。」
受付は自らの手に余ると判断してカウンター裏の呼び出しボタンを押した。
だからそのいちいち無意味な演出は何だ、現実ではそこにあるのは防犯用通報ボタンだ。

それから10分ほどだろうか。事務所のクッションに座り込んだまま夢現になりかけていた私は、ドアを開ける音で目を覚ました。私の目に映ったのは海のように蒼い髪をした女性、金色の錨を模した髪飾りを4本、両もみあげの横から垂らしている。
「君がボストークか。」

「そうですが…あの、どちらさまで?」
「私はオケアノス=ヴァルハイ、この街のキャピタルマスターだ。」
彼女は証明ホログラムを出しながら答えた。
「すんませんこんな夜中に、こんなしょうもない要件で。」
しかし私は何かがおかしいことに気づいた、相手の顔色がよくない。まるで何かものすごく気の毒なものを見ているように、いや実際気の毒だが流石にオーバー過ぎじゃなかろうか。

それこそ、一生このままとでも言わんばかりに。

奥の部屋に案内された私に、オケアノスは私のステータス情報が記載されたホログラムを見せつけた。
「君の登録情報はこれで、間違いないな?」
ホログラムに記載された内容を隅から隅まで眺め、間違いが無い事を確認する。
「では少々センシティブなことを聞くが、いいかな?とても大事なことだ。」
私は若干動揺したが素直にうなずく、しかしオケアノスはまだ何か躊躇しているように見えた。
「君の本名は、『シマザキ=ナギ』で間違いないな?」
目が点になった、何故私の名前を知っている、アカウント登録に本名情報がいることなど…支払履歴から照合したのか?

「待て!どこからその情報を手に入れた?アカウント情報の不正取得はキャピタルマスターと言えど…」
この街の主は無言のまま、コンソールから今朝のニュース映像と思われるホログラムを取り出した。そこには、VR中に急性心筋梗塞で命を落とした男性が報道されていた。

細かく震えたまま信じられないといった表情の私に対し、オケアノスはため息を一つついて尋ねた。
「恐らく答えられないと思うがあと一つだけ聞かせてくれ、『君』は何者だ?」