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【Legacy Ocean Report】#24 この世界を俯瞰する

扉の向こうに、彼はいた。夜空のように暗いローブに黄金の…いや、夕日や満月の光を思わせる色彩の装飾を走らせた中性的な青年が我々を待っていた。

「…ゴードン様、お連れしました。」
ロスは先程までとはうって変わって緊張した面持ちで、私達を室内に招き入れると部屋の隅に下がった。機体のフックを部屋の天井から伸びたバーに引っ掛け、ローターと機械翼を止める。部屋の中は静寂に包まれた。

それは、大きめの応接間と言ったところだろうか。近代ヨーロッパ調のアンティークじみた室内には古い本のような匂いが微かに漂い、この島の主のただならぬ雰囲気と合わせてこれは夢ではという錯覚すら与えそうだった。

「…まあ、座りたまえ。」
青年が手を翳すと、テーブルの上にさも当然のようにティーカップが出現し、紅茶が湧き出てきた。
「手厚いもてなし、ありがたく存じます。しかし我々は…。」
呆気にとられる一同の中、シュミットが歩み出た。この時点で相手は、電脳都市の常識である物質交換原理を軽々と飛び越えて見せた。カヴンチェインの難物どもと同じか、それ以上の相手。慎重に交渉を進めたい。

「そう言わないでくれ、客人は珍しいんだ。君達にどんな事情があるか知らないが、急いても始まらないのだろう?」
そう言いながら入り口を向いたゴードンはボストークの巨体に気付くと、ソファーの一つを直径二メートルのボディを載せられる大きさまで拡大した。


「…さて、長旅ご苦労様。こんなところで航海をしているということは、何か複雑な事情があるのだろうね。」
ゴードンははにかんだ笑顔で口を開いた。
「我々は電子ネットワーク上の仮想都市に出現した、イレギュラーな空間を調査していました。その過程で脱出不能に陥り、復帰の可能性を求めて探索をしているのです。」

シュミットは出来るだけ簡潔に、自分達はこの空間からの脱出手段を求めていることを伝えた。黒いローブの青年は全く焦ることなく、半ば微笑みながらそれを聞いていた。度胸が違う、金髪のハイエルフは気押されまいと紅茶を飲み干した。味わったことのない、フルーツ系と思われるフレーバーの味がした。

「特にこの耳長の男は、肉体が現在でも物理空間上にあり、断絶寸前の危機的状況にある。」
ゴードンはソファーから身を起こし、シュミットの顔の周囲を眺めた。
「なるほどね、確かに人間だ。まだ生きている。」
「それと、助力を求める前に貴殿に一つ聞きたいことがある。」
「なんだい?」

「ゴードン殿、貴方は電脳都市…コンティネント№34『アプリコット』のキャピタルマスターで間違いないか?」
さっきまで余裕綽々としていた黒衣の青年は、急に苦虫を噛み潰したような顔をした。
「…また随分昔の話をするね、ここでは時間の感覚が狂いがちとは言え、昨日今日の話ではないだろう?」
「アプリコットって、俺たちを送り出した…。」
振り向くレイに、ボストークはゆっくりと頷いた。

「長く無人だったアプリコットは数か月前に"再発見"され、残されていた自立人形…ミスタリレとの交渉の末、電脳都市連合の指揮下に入った。我々の異常空間探査計画も、アプリコットで開かれた会議で決定されたものだ。」
単眼のカメラを向け、淡々と宣告するように語った。この男は何か知っている。この部屋に手がかりがある。絶対に逃がすものか。
「らしいよ。僕たちは君が何か知っているんじゃないかと踏んだが、どうかな?」

「やれやれ、君達には参ったよ。まあいいや。折角だし、たまには少し昔話でもするかな…。」


部屋の照明が急に落ち、窓の無い応接間は闇に包まれた。テーブルの上の一本の蝋燭だけが残され、辺りをか細く照らしている。と、次の瞬間蝋燭の火が膨れ上がり燭台を飲み込んだかと思うと、水飴か熱したガラスのようにねじ曲がり、直径一メートルほどのスクリーンに変貌した。

蝋燭の炎の色を未だ残した、オレンジ色に淡く発光するスクリーン。そこに映し出されていたのは巨大な水時計のような空間構造だった。ゴードンはその上層を指差す。
「この巨大な盃のような空間、これがメガロチェインの本体とでも言うべき場所だ。君達はここに浮かぶ無数の大陸…電脳都市からやって来た。」
レイとジャスミンはスクリーンに近づき、覗き込む。小さい光点やドットがあちこちに漂っているが、これらが都市と言う訳ではなさそうだ。
「見えないん…ですが。」
「ああ、これはあくまで模型だからね。分かりやすくするように三次元に直しているだけで、実際に水面にプカプカ浮いてる訳じゃない。」

上層を忙しなく飛び交う無数の光点は、粘性の強い液体のように少しずつ水面から剥がれ、落下していく。水時計の中心部の括れは大まかに螺旋を描いているものの多数のバイパスが纏わりつき、まるで毛細血管の標本のような様相を呈していた。


「…これが、ヨルムンガンドか。」
黒いローブの青年はゆっくりと頷いた。
「生き地獄の大規模構造とは興味深いね、突破した身だから言えることだけれど。」
シュミットは無駄と知りつつも、自分達の足取りを目で探った。一歩間違えば、ここで永遠の責め苦を味わうところだった。六本足の彼には感謝せねばならないだろう。

「電脳都市で発生する大量のガベージデータ。それらは速やかに排出され、都市間領域をしぼらく漂ったのちにマリンスノーのように沈降する。」
スクリーン上の光点の幾つかがピックアップされ、緑色に点滅する。模型の時間は急激に加速し、光点がヨルムンガンドを下っていくのが見えた。
「ガベージデータはこの暗黒の水路を通り、下層を目指す。」

「水路…つまり、ヨルムンガンドは偶発的に生まれた洞窟ではなく、電脳都市から排出されるデータを回収するため整備された下水道と言うことか。」
ゴードンは考え込んだ。それは迷っているというより、間を図っているようにも見えた。
「それは下層、つまり此処について知ってから判断して欲しいかな。我々は下水の底に住んでいるわけじゃないんだ。」

「この、電脳都市からは完全に隠されたもう一つの海。こう呼ぼうか、『アナザー・オーシャン』。その中心部にこの観測所が建っている。…ここが観測施設だってことは聞いているね?」
視線が不意にロスの方を向く。スリープモードに入っているのか、ピクリとも動かない。
「確かにそう聞いたけど、何の観測所かまでは…。見た目は天文台に似ているけど、きっと違う…んですよね?」
レイは恐る恐る尋ねた。食って掛かろうと思ったが、形容し難い妙な威圧感を感じる。

「見た目はね。でも実際、あのドームの中にはどでかい観測装置が鎮座しているから、似たような物かもしれない。」
ゴードンはスクリーン上の模型を目一杯拡大し、この島の上階層を映した。そこにはドームの中で天頂近くまで仰角を上げた、巨大な望遠鏡の姿があった。

「これは、言うなれば文明観測装置とでも言うべき物だよ。この大規模構造を貫通して電脳都市の、ひいては地球文明そのものを観測するための設備だ。」
黒いローブの青年は両腕を広げ、後ろのソファーに座り込んだ。その視線は天井、いやその遥か先を見据えているように見えた。