見出し画像

【Legacy Ocean Report】#27 山羊達はどこから来た?

地球全土を覆う電子ネットワーク上に構築された、仮想現実空間を利用したサイバースペース、メガロチェイン・ネットワークス。その正体は、異星文明が地球文明を観測する為に造り上げた観測装置だった。

より正確に言うなら、観測装置に積まれていた心配性な仮想人格が方便を利かせた、壮大なおせっかいだった。

シュミットはブラックヒースの岸壁上の通路で、夜風に当たっていた。この遠大な海を作るに至った奇妙な経緯。彼等カヴンチェインはこの謎にずっと振り回されてきた。一応会談のアーカイブは録ったが、信じてもらえるだろうか。

厳しいながらも生還の望みが出てきたことで、かえってその先に対して考え込んでしまう。まずは生きて帰る。それが全てだ。そして生還の望みと引き換えに、もう一人爆弾持ちを引き受けてしまった。

唐突に紹介された五人目の遭難者、ジーンは電脳都市から直接この島の近海に落ちてきたらしい。当時本人はショック症状で蘇生されるまで意識がなく、数十年の歴史でも希な特殊バイパスポータルは調査もむなしく、特定出来なかったらしい。なんて運の無い奴だ。

本来この海まで沈んできたガベージデータは、無秩序に発生するランダムポータルを通って、都市のリソースとして"再生"される。これらのポータルは泡のように持続時間が短く、せいぜい数分しか持たない。しかも再生されるまでの間にどこかの"貯水槽"を経由してくるときた。出口として期待するには厳しい。

そこで我々はたった一つの例外を目指す、この海で最も危険な海域「リラティア海底火山」が二つの海を繋ぐワームホールになっているというのだ。


「眠れないのかね?」
通路の端でこちらを見る影…ゴードンだ。我々は明日の出航を目指して船に物資を積み込み、今日は休むことにしていた。だがこのハイエルフの青年は妙な胸騒ぎが抜けず、一睡も出来なかった。

「何と言うか、導火線を直接見せられた気がしてね。実際僕らは、あとどれくらい人の形を保てるんだい?」
自分から宣告を聞きに行くなんて、愚かな行為である事はわかっていた。だが、この島の…この海の創造の一端を担った彼ならある程度推測がつくのだろう。

確かに彼は、アバターと物理的肉体を結ぶ蜘蛛の糸のように細い線を捉え、自分が生身の人間であると見抜いた。今にも消えそうな蝋燭が見えているのだ。見えない恐怖に怯え、タイムリミットに背を向ける段階はとうに過ぎ去ったのだ。

「そうだね、別に君達の命に時限爆弾が付いてる訳じゃないから断言は難しいけど…一ヶ月は耐えると思うよ。ただ、ジーン君はそこまで持たないかもしれない。」
ゴードンは目線をそらし、明言を避けた。言いたくないというより、本当にわからないと言った感じだ。勿論演技かもしれないが、無駄な疑念を抱く余裕すら我々にはもう無かった。

もし命の灯が潰えたとしたら、どうなってしまうのだろう。シュミットと行動を共にしているアヌビス隊の一人、ボストークは元々生身の人間であり、一般のユーザーだった。VR活動中に急死した彼の意識が、記憶が、人格そのものが使用中のアバターに残り、幽霊のように動かしているのだ。

「もし帰還に失敗して、意識の断絶が決定的になった場合…僕らも、スケープゴート化してしまうのか?」
いつの間にか、語気が強くなっていることに気づく。いくら身を引き締めても、恐怖が完全にはぬぐえない。
「それも断言は難しいね…そういえば、スケープゴートと呼ばれているひとりでに動くアバターが、そもそもなぜ動くかはご存じだったかな?」

虚を衝かれ、シュミットの目が丸くなった。このわずか一年ほどの間に都市伝説同然だったスケープゴート…自我を備え、ひとりでに動くアバターの実在が明らかにされ、都市上層管理部や我々深部都市の探査グループの間では当然の存在となっていた。

だがどうだろう、「なぜ彼等は動くのか」について、我々はまだ何も知らないのだ。レッドチェインの連中が不完全体であるグリーンマンの残骸を解体した記録でも、普通のアバターと何一つ変わらなかった。

強いて言うなら、パルサーセルと呼ばれる未だ研究途上の発光体が、核として埋まっていることが分かっている。これはスケープゴートに限らず食用種を含むあらゆる電子生命体に存在し、大型の個体だとラグビーボール大のものもあるという。

「詳しくは…パルサーセルと我々が呼んでいる金平糖大の脈動する光点、あれが鍵を握っていることは知ってるんだけど…。」
苦虫を噛み潰したようにたどたどしく答える。さぞ間抜けに見えているのだろう。シュミットはこういう時斜に構えて答えを引き出すことが多いのだが、このやり方は同種の相手には使いづらい。

「来なさい、いいものを見せてあげよう。」
ゴードンは通路奥、昼間の自室とはまた別の塔楼に向かって歩き出した。昼間は気押されて気付かなかったが、男性とも女性とも言い難い、いやもっと多彩な人々の感情を不器用に組み合わせたような独特の雰囲気を漂わせていた。ニュートラルな知性体のユニットが、何とかして現代地球人に似せた結果なのだろう。

ハイエルフの青年は、急いで後に続いた。観測島のガス燈に似た照明が闇の中を点々と照らし、そこを通る二人の影を複雑に描く。


塔楼の中は例によって外見よりずっと広く、真鍮の装飾で彩られたさながら錬金術師の工房のような部屋だった。所々に据えられた柱型の水槽の中では、得体のしれない電子生物や正体不明の発光体が漂っている。コンソールに映っている文字は見たことのないもので、全く読めない。

「ここが、この島の上層実験室だ。遠征人形体の採集した物体の分析を行っている場所で、ここも他の端末から見えないようになっている。」
「分析?この海は君たちが作ったというのに?」
「そう。そもそもこの"海"は元々、ただのデータの流れに過ぎなかった。水のように見えているのは地球の環境循環と相似して私たちが認識しているからに過ぎない。少なくとも僕はそう考えている。」

シュミットは少し不安になってきた。確かに物体や空間を捻じ曲げるなどシステムの根幹を操作するような真似はいくつも見てきた。だが彼が本当にこの海の創造に関わっているにしては、知らないことが多すぎではないだろうか。彼は星間観測団における翻訳家程度の権限しかないか、もしくはこの島自体がソラリスじみた幻覚ではないのかと、ブツブツ呟きながら実験室二階に向かう。

「幻覚とは面白いことを言うね、それに探査ユニットにおける僕自身の地位が決して強大でないことも事実だ。だが、この電子の海で幻覚と実存体を見分けるのは、時に難しい。だから僕は僕なりに、この海について掌握を試みてるのさ。」
また始まった、チェシャ猫じみた説法だ。最初は神秘的存在感に魅了されていたが、彼もまたこの海に生きる民の一つに過ぎないのかもしれない。あるいは、自分たちの来訪で澱み行く感覚が目を覚まし、この海を作り上げた存在であるという自覚を取り戻しつつあるのだろうか。

「まあ、回りくどい話はやめよう。実際この電脳空間…メガロチェイン・ネットワークスは僕が提出した設計案に相当手が加えられている。それに気づいたのはこの島に閉じ込められてからだった。システムの展開と汎惑星概念体フィールドへの適用を担った端末たちが、大小様々な細工をしていた。」
またわからない言葉が出てきたが飛ばすことにした。要するに自分で作ったこの空間は細工されていて、仕様に無い挙動が起こるという事か。
「概念フィールドの中でも特にこれに細工をされていたのが、厄介だ。そして、不可解だ。」
そう言うとゴードンは机の上に置かれた、高さ五十センチメートルほどの容器を指差した。

それは天井と底を金属で覆われたガラス製の筒で、内部でホタルの発光に似た光点がいくつも現れては消えてを繰り返している。
「これは言うなれば放射線を捉える霧箱のような仕掛けで、概念フィールド上のレイヤーで動く粒子、スターダストを可視化することが出来る。」
シュミットは近づいて筒の中を凝視した。本当に何もない所に突然淡い光が現れ、跡形なく消えてゆく。まるで幽霊のようだ。


「スターダストはメガロチェインの根幹を支える仕掛けで、これが離合集散を繰り返す中で特定の電子オブジェクトと結びつくと、君たちはそれが『その物体』であると認識するようになる。決して解像度が高くない筈の空を本物の空の様に認識するのも、電子生物を食べると味がしたように感じるのもこの作用だ。」
「概念子…とでも言うべきものということか?」
「そう考えて構わない。これを適切に循環させることで極めて小さなリソースで人間に世界を認識させることが出来るし、万一人類の電子ネットワークが大きなダメージを受ける事態が起きても、影響はほとんど起こらない。」

そうか、元々メガロチェインは人類文明のバックアップシステムとしての性格を持っていた。この光点のストリームがそれを担保する…。
「もしかしてなんだが、この海ももしかして…。」
「大規模ストリームだ。スターダストは単体だとこうした緑色の光に過ぎない。しかし集合していくにしたがって様々な形をとる。メガロチェイン内にあるあらゆる物体は少なからずこの概念粒子の影響下にあるのだ。」

「私も……ですか?」
「そうだ、もしスターダストの影響が突然停止したら、合成写真を暴いたようにちゃちなものの様に見えてしまうかもしれない。」
「信じがたい……。」
シュミットは自らの手を何度も裏返し、眉間にしわを寄せながら見つめた。何一つ破綻の無い描画。それは、通常目に見えぬあの光の流れが我々の認識その物を歪め、「手がある」と思わせることでもたらされていたのだ。

「だが、この大仕掛けの根幹をなすスターダストの流れに彼らは…上級端末たちは干渉した。本来の目的である観測作業に伴うものなのか、これも文明観測の一環なのか、それとも事故なのか。いずれにせよ問い合わせに彼らは何一つ応じなかった。」


「メガロチェインのスターダスト再生サイクルに多数のバイパスが虫食い穴の様に生じている。観測装置が捉えた最初の異常はこれだった。都市部に目立った異常が無いという事で観測は継続されたが、今思えば甘かったし、何も出来なかったとも言えた。」

「その数日後だった。スターダストの流量観測班がアナザー・オーシャンで生物のように動く物体を確認したと報告した。遠征チームが採集したサンプルには大小の魚や甲殻類などを大まかに模した物体が含まれ、どれも想定に無い自律行動性が確認された。『生きて』いたのだ。」

「この実験室はこうした電子生命体を解析するために作られた。機密モードになっているのは、他の端末による何らかの意図をもって作られた可能性もあったからだ。だが実際は違った。簡素なポリゴンで作られた何の変哲もないオブジェクトだった。ただし、スターダストの凝縮体が心臓の様に鎮座し、根を張っていた。」

「パルサーセル…!」
「そう、君たちがパルサーセルと呼んでいるのは、肉眼で見えるほど巨大かつ高密度に凝縮し、電子オブジェクト中に滞留するスターダストだ。これが様々な電子オブジェクトに突き刺さり、内部に入りこんで、そのオブジェクトが本来あるべきだった動作を再開させる。」

「あるべきだった動作……とは?」
「生き物の図像や造形に宿ったものはそのおぼろげな概念を模し、スライムのように海底を這い始めた。彼らは図像が持つ成長と繁殖の指令に従って類似する情報を取り込み、長い時間を掛けてあれほど現実の生き物に近づいたのだ。」
類似する情報を取り込み成長し、進化する。シュミットはヨルムンガンドで見たアラガミを思い出した。人型の情報を取り込み続けた結果でも、ああいう形に辿り着くこともあるのか。まてよ…?

「しかしスケープゴートはそのようには見えない。あれは外見上一般的に利用されているアバターそのものだ。確かにグリーンマンを彼らが摂食する形に加工することは出来たが、スケープゴートの常食がアバターというわけではないだろう。」
「そうだね、実際このプロセスも人形達を潜らせて歴史の浅いエリアを長期間観察して初めてわかったことだ。目に付くほとんどの電子生物は、モチーフになった生物に倣った摂食活動を行う段階まで来ている。大きな魚は小さな魚を食べて消化し、海底の貝は泥のようになったダストデータを摂食する。その過程で散逸するスターダストを補充していくのだ。」


「しかしスケープゴートは違う。人間自身を模した存在である電子アバターは概念の輪郭が通常のデータより格段にはっきりしている。そのためひとたびパルサーセルが宿ると、多くの場合そのまま人間のように動き出す。ただし、意識など無いままに。記憶の概念の無いアバターには『生きる』という発想が無いためだ。」
確かに、不完全自律アバターであるグリーンマンは自分の意識を持っているようには見えなかった。それこそゾンビのように、適当に動くだけの存在。低品質なゲームのキャラクターのような動きしかしなかった。

「こうしてほとんどのスケープゴートは人知れず"生まれ"、何の思考もせぬまま歩き、事故に遭って壊れ、スターダストが漏れ出し、機能停止する。それを繰り返しているうちに完全に破損してただの塵に還る。」

「では、我々が知る『生きている』スケープゴートは何なのか。鍵を握るのは、アバターに残されたわずかな残滓だ。所有者、あるいは所有していた人間の記憶を核にパルサーセルが情報をかき集め、復元する。そこには元の人間の思考や感情と言ったものまでも含まれる。」

「それはどれくらいの精度で復元されるものなのか?」
「観測する限り、ドッペルゲンガー事件みたいなのを見かけない辺りそれほど大きな期待をかけてはいけないようだね。唯一の例外がボストーク君で、不幸にも彼が亡くなった直後、彼の意識を支える生物学的プロセスをスターダストがほぼ完全に置換した。あんなことは通常あり得ない。」

薄々感じてはいたが、まるでスワンプマンのような話だ。そして哲学的ゾンビをはじめとする様々な議論が頭を巡り、精神電子転送の話題がよぎった所で、我に返った。決して他人事ではない。


「結局のところ、今私たちが目にするスケープゴートの大半は何らかの事情で捨てられた子たちなのさ。それも怨念めいた記憶を遺したままね。偶然なんだろうけど、『贖罪の山羊』とはよく言ったものだ。そしてそれがパルサーセルの力で甦った。彼らは程度の大小はあれど、人間としての思考能力を有していた。在りし日の行動傾向や刺激反応まで復元されたのだ。」

「勿論スケープゴートはただのコピーではない。電子生物を食らい概念を消化し、自分自身の経験を積み、学習し、記憶する。彼らにも我々と同じく人生があるのだ。そしてボストーク君がそうであるように、それは元の人間のありえた未来の姿かもしれないし、そう考えるのは今の彼らに失礼なのかもしれない。潰えた未来はもう見えない以上、誰にも分からないのだ。」

「だから僕は彼らの事をこう呼んでいる、『叶わなかった願いの化身』と。」

「この海は死者が彷徨うあの世なんかじゃありえない。死は残酷で、消滅したものはもう二度と戻らない。それは君も同じことだ。電子的存在に成り代わって永劫を過ごすなんて妄想は、やめた方がいい。それこそ海底火山に潜るより、はるかに危険な賭けとなる。」
ハイエルフの青年は、ヨルムンガンドの闇の中で下した決断を思い出した。結論は違ったが、決断は正しかった。あのまま肉体との断絶が切れれば残されるのは、二度と動かないアバターと脳死状態の肉体だったのだ。

「出来る限りのことはする、だから頑張りたまえ。人間の底力を…見せてくれ。」