見出し画像

【Legacy Ocean Report】#01 煙色の箱庭

電脳都市番号74番、ユグドラシル。
地下第9層、管理区画。
この都市はコンティネント制限の厳しかったメガロチェイン初期にあって、シリンダー状のサブエリアを繋ぐことで広大なスペースを確保している。
そして世界樹の根ともいうべき地下階層は限定公開エリアであり、隠された入り口と認証を経由することでのみ進入することができる秘密の場所だ。
そこは特殊なフェティシズムを持った芸術家のサロンであったり、芸術の在り方について議論をする場であったりしている。
存在を認められたいという想いに応えることを目的としたこの都市の、もう一つの姿だ。
そして地下区画の住人達すら知らない最下層が、管理者をはじめ数名だけが認証された制御エリアである。

薄暗い制御エリア。
原色のネオンランプが点滅するそこは、およそファンタジー色溢れる地上階の光景からは程遠い。
それはまるでサイバーパンクか、色彩を除けば潜水艦の内部だ。
「ジャックの爺さん、この都市にこんな秘密基地があったとはねぇ。あんたも隅に置けねえなぁ。」
フードを被った老人の後ろを、彼の頭を一呑みに出来そうなほどの大きな頭が続く。二本足のサンショウウオのアバターはジグラット、都市のオーナーであるジャックの古い友人だ。

「キャピタルマスターの特権という奴だ。この街自体が、私の創作であるということを忘れてもらっては困る。」
ジャックは奥の椅子に腰かけた。周りのホログラムモニターには、何やら様々なデータが吐き出されている。その一つ一つを、不思議そうにのぞき込むジグラット。

「……なあジャックの爺さん、このランプみたいなのは何だ?」
サンショウウオ頭の小さな目が、壁面に並んだ小さなランプを見つめる。よく見るとそのランプは、点灯しているものとしていないものがある。点灯しているものは鼓動するように、その明るさを微かに増減させていた。

「それか、それはこのコンティネントと接続している都市の反応だ。光ってない奴は……そういうことだ。」
一つ一つのランプの下には小さく番号が刻印されている。ユグドラシルが建造されたのは第一次都市建造ラッシュ。同期の記念と作られたこの光は、その大半が墓標と化していた。今も少しづつ増え続ける千を超えるランプの明滅。左側ほど古く、光っているものは少ない。

「これって左から右に向かって新しくなるんだろ?
こいつとかすっげぇ古いのに頑張ってるなぁ。」
ジグラットが左端近くの一つを指す。
それは棚の後ろ、ほとんどのランプが光を失ってなお光り続けていた。
「む、そんなところに生きている都市があるだと…?」

「おいおい薄情だな爺さん、34番て事はここより古いぜ、先輩を忘れちまったか。コンティネント名は…『アプリコット』だとよ。」
「アプリコット……聞いたことがない都市だ。他のキャピタルマスターの話題やコンティネントレポートでも名前が出ているのを聞いたことがない。恐らくアクティブ率の極端に低い都市じゃなかろうか。」
ジャックはコンティネントレポートを遡る…。

「…あった。20年前の第一回レポートに建造中コンティネントとして載っていたぞ。当時は都市建設自体が一大事で、建造中の都市の記録もあったんだ。」
しかし、都市建造ラッシュとなった第二回レポート以降は記録が途絶えてしまう。結局得られた情報は、レトロヨーロッパ風の円形都市ということ位。そして、現状ユグドラシル以外どことも繋がっていないように見えた。

「この都市は何なんだ?ユグドラシルから人の出入りした形跡もないんだろ?キャピタルマスターが仲間内で楽しんでるからとかか?」
「わからんな……行ってみるしかないだろう。」
「お、案外ノリがいいじゃないか。」


数日後。
ユグドラシルからアプリコットに繋がる、ポータルがひっそりと開かれた。前日三度にわたってメッセージを送ったが反応がない。
本当にこの街は生きているのか?

人一人いない街の一角に、魔法陣のように円い光が現れる。そこから出てくる影が三つ。ジャックとジグラット、そしてオケアノス。三人は街の情景を、そして空を見回した。

街は予想より広い、この電脳都市ができたころの規格を考えると、コンティネントの限界近くまで構築されていると思われた。市外地の形はパリに似て、しかし道幅が極端に狭い。向かい合った建物の間には所々電線のようなものが走り、見慣れない旗のようなものが垂れ下がっている。
建物の大半はドアが固く閉ざされ、たまに空いている建物に入っても誰も居ない。見上げれば空は荒いピクセルで灰色を映し、曇っているように見えた。

「誰も居ねぇな。」
ジグラットはため息をついた。
「居ないしいた形跡もない、経済活動の跡が感じられない。」
オケアノスは錨の髪飾りを揺らし、窓の一つ一つを凝視した。微かな風のエフェクトはある、水路に水が流れているのも見える。時の流れの感覚は電子空間では通用しない、ゴーストタウンか見極めるのは難しい。

ジャックはずっときょろきょろしていた。
「確かに誰も居ない…が、気配がある。」
「気配?」
「ああ、見られている感覚がある。どこかにカメラがあってこっちを見張っているような…。」

「オケアノス、わかるか?」
怪訝な表情のサンショウウオはオケアノスに尋ねた。
「いや、わからない。気配と言われても何の違和感も…。」
海のように青い髪の女性は不思議がった。長年VRダイブを繰り返しているとはいえ、生身の人間にして電子生命体以上に感知する力が強いとは。もしくは長年のカンで、都市構造を推定しているのだろうか。

三人は路地に歩を進めた。都市構造は円形で、中央に小さな広場があるようだ。エッフェル塔に相当するような高い建物はない、小さい見張り台のようなものはいくつかあるが誰も居ない。煙突は断続的に煙を吐き出し、空はそれを粛々と飲み込んでいった。

一行は数時間にわたって街を調査し、マッピングを行った。キャピタルマスターが都市地図を配布していない場合、自力でデータを作成するしかない。ビルの一つ一つをスキャンし、地図情報に取り込んでいく…。


「ん、今何か動かなかったか?」
ジグラットが急に振り向いた。
「いや、何も見えなかったが…どのあたりだ?」
三人は建造物の上階層に視線を集中させる。
「何も見えないぞ…?」
「いや、気のせいじゃない。確かに視界の端で何かが動いた。」
オケアノスは目を細め、指を三階の窓に沿って動かしていく。

その時、一つの建物の窓の向こうに、人影が見えた。いや、人影ではない。朧げな表情をした銀髪の少女がこっちを見ている。しかし、その頭上にiDコールはない。
「iDがない…スケープゴートか?」
「ここに住み着いているのかもしれん、なんにせよ話を聞くぞ。」
三人が建物に近づくと、ドアはゆっくりとひとりでに開いた。

面食らい、一瞬立ち止まる三人。
「奴が動かしたのか…?」
「だろうな、となるとさっきからの気配もあいつの仕業かもしれん。」
「もし危険を感じたら、すぐに撤退するぞ。」
階段を一段また一段、登っていくジャック達。

建物の中は相変わらず整然として、人が住んでいる感じがしない。そもそもこんな環境でスケープゴートが発生するのか?偶発性電子知生体は人間の活動の残骸から誕生するのが定説だ。こんな、まるで大きな都市のレプリカの中に…。

三階、窓際の部屋のドアを開ける。そこにはまるで人形のような少女が鎮座していた。銀色の髪、ネオヴィクトリア趣味な服装は真鍮風のアクセサリで丁寧に装飾されている。ほとんど瞬きしないその瞳はじっとジャックの目を見ていた。

沈黙が続く。そもそも言葉が通じるのかがわからない。まるで都市そのものであるかのような存在感がそこにあった。背後で、チクタクと柱時計だけが時を刻み続けていた。


「ここは、君の家かね?」
意を決して、ジャックは口を開いた。
「家……家とは?」
少女は静かに、しかし淡々と返した。唾をのむ老人、言葉は通じるが意図は伝わるかどうか…。
「そうだ、名前を教えてくれないか。私はジャック、こっちのでっかいのがジグラットで、こっちの女の人がオケアノスだ。」

「…オケアノスさん?は人じゃないですね、私と同じ。」
普段凛としたオケアノスも流石に意表を突かれ、微かに後ずさりする。
「……ミスタリレと申します。この都市は現在、無人状態となっております。」
無機質に、微妙におかしなイントネーションでミスタリレは答えた。
「無人だと?」

「はい、この都市は20年前から完全に無人です。」
ミスタリレは続けた。
「…この都市のキャピタルマスターは?」
ジャックは部屋の内装を見渡しながら訪ねた。
「この都市の管理者は建造直後に完全にログアウトしています。その後のことはわかりません。」
銀髪の少女は微かに困惑の意思を見せた。

ジャックはため息をついた。
「20年も前から無人となると、管理者自体が既にこの世の人ではない可能性もある。単純な制御不能なら、あの時代何らかのレスキューが出てきたはずだ。」
三人はしばらく黙り込んだが、ジグラットが不意にあることに気づく。
「おい待て、管理者が不在ならお前は何者だ。」
サンショウウオの大きな頭が銀髪の少女を睨む。

「私はミスタリレ、この都市の管理者によって作られた人形で御座います。この都市と回路が接続されており、都市内のほぼ全ての機能を制御することが可能です。」
そう言うとミスタリレは窓の外に手を伸ばした。次の瞬間、窓の外の景色は一瞬にして夜景に変わった。街灯は煌々と灯り、この部屋を含む街中の明かりが闇を照らす。
「これでどうでしょうか。」

オケアノスは頭を抱えた。
「参ったな、確かに私と同じ、いやもっと有能だ。
この街の管理を一手に担っている人工電子知性……ん?今、作られたといったな?」
「はい、キャピタルマスターのゴードン様によって作り出されました。」

ジャックは資料のホログラムを開きながら少女を見つめた。
「エクト・マスコット現象は人工的に再現ができていないとされている。何か方法論に関する資料が残されていればいいが…。」
部屋中のメモリーを検索したがそれらしきものはない。
「本当にここで生まれたのか?」
ジグラットは怪訝な目でミスタリレを見据えた。
「はい、間違いありません。そもそも、私はこの場所に固定されていて動くことができません。」

オケアノスはミスタリレのスカートの裾を持ち上げ、足元を覗き込む。
「本当だ、下半身の機械部が床から生えてるみたいになってる。」
「はい、そのためこの部屋から出ることができないのです。都市の状況は設備を通じて把握しているのですが、外はさっぱりでして…。」

ジャックは壁にもたれこみ、天井を見上げた。
「住み着いてるどころじゃないなこりゃ、この子は都市機能そのものだ。どうやってかは、もはやわからないがね。」

「あんたはずっとここで?」
「はい、生み出されてからずっとここで過ごしてきました。マスター以外と話すのもこれが初めてです。」
「勿体ねぇよなぁ…こんな小綺麗な町をよう。」
ジグラットは窓の外に顔を出した。現実空間の時刻はまだ午後3時なのだが、都市の夜景は時間感覚を上書くに十分だった。

「謎は残った…が、この場所の現状を理解している人物を見つけただけで上等か。それと、一つ提案を思いついた。」
ジャックはミスタリレのほうを向いた。
「提案…私に対してですか?」
「この数年間我々は、放浪する無人アバターや未知の電子空間といった現象に見舞われている。その解析、解決を目指していくつかの都市に呼び掛け、同盟を組んでいる。君が構わなければ、アプリコットも参加して欲しい。」

ミスタリレは表情を変えないまま首を傾げた。
「……この都市が、どのような形で貢献できるのでしょう?」
「この都市の閉鎖性を逆手に取る。都市間の協議、及び作戦行動の拠点として活用できるのではと思ったんだ。」
「秘密基地か、ずいぶんでけぇな。」
ジグラットは窓枠に座り込んで部屋の中を眺めた。「無論何の見返りもなしにとは言わない。知っての通りアプリコットは現在、立場などが宙に浮いた形になっている。キャピタルマスター不在のこの都市の、外部との折衝を我々が担当しよう。」

銀髪の少女人形は目を瞑り、考え込んだ。
「ああ、今すぐ決めろとは言わない。君がずっとここにいる以上、機を見てまた尋ねることもできる。」
「すいません、なかなか判断する機会がないもので。」

「20年もずっと待ち続けていきなり決断しろって方に無理がある。いい返事を待っているぞ。」
オケアノスは荷物を持ち上げ、部屋を去っていった。
ジャックがあとに続く。

ジグラットは去り際、ミスタリレの方を振り返った。
「なあ、いやなら断ってもいいんだぜ。ここはあんたのマスターの、大事な箱庭なんだからよ。」
「……ありがとうございます。」
ミスタリレの表情がかすかに動き、微笑んだ気がした。