日常は生活の積み重ね
なにを当たり前のことを言ってるんだ、と思われるかもしれませんが。
若さのせいか、はたまた私がポーッとした性格だったからか。
私が芸能の世界に憧れたのもきっと根本はここにある。
なんかとにかくキラキラしたい
普通に生活していると、キラキラしたことってそうそうない。
キラキラは、日常ではないから。
キラキラは、特別なこと。
現状に満足できていなかった思春期は、雑誌やテレビでキラキラしたものに触れては
自分も「そちら側だったら」と求めた。
東京へ出たいと思ったのも、こんなとこにいるからキラキラ出来ないんだとすら思っていた。
(ちなみに私の故郷は田舎!というわけでもありません)
大阪、京都も近いのに、妙な完璧主義のせいか
「東京じゃなきゃいけないんじゃないか」みたいな謎の使命感。
いつも思うだけ、行動できないタイプだったはずの私だったけど
色々重なった結果、晴れて上京してきました。
テレビや雑誌でしか触れたことがなかった渋谷や原宿に降り立った時は
新しいステージにたどり着いたような気持ちになった。
誰もが憧れるようなものすごいキラキラを手にできるチャンスを求めて、新宿までボイトレへ。
新橋のダンススクールへ。
職場も、たまたまとはいえお台場でした。
渋谷のライブハウスで歌ったりしたことも。
今までの私からは考えられない行動力だった。
私、こんなところまで来れるんだと言う発見があった。
それでも。
私が求めたキラキラな生活が待っていたわけではなくて。
その時はキラキラ気分を味わえていても、またすぐ日常へ戻る。
日常へ戻るとからっぽな気分になり、またキラキラを求める。
仕事には「生活していくための収入確保」としか思えていなかったため意欲もゼロ。
仕事で向上していこうとは全く思えなかった。
私はいつか、キラキラした世界で収入を得られるようになりたいと思っていた。
いやーーーー、本当。
若いって、怖い。
若いって、甘い。
成功する人ももちろんいて。
成功する人は、積み重ねこそ大事だとわかっている継続できる人なんだといまならわかる。
私は、単発のキラキラを求めるだけで
積み重ねてようやく飛べるハードルなんてみていなかった。
ただただ「キラキラ」に身を置いてみたいだけだった。
キラキラを求め続けるのは疲れる
そして結局どうなったかというと、趣味の範疇でしかキラキラ出来なかった。
その分野を仕事にできる日はこなかった。
齢25歳、疲れたのもあり
現実を知ったのもあり
自分のレベルを知ったのもあり
とんでもないキラキラを追い求めることをやめた。
そして、なにが残ったかというと「経験」が残った。
それから10年。今思うこと。
若い時の経験は、とても大切だ。
自分や人を傷つけたり、法に触れること以外は
なんでもやってみたほうがいい。
私はもともととても保守派で
だからこそ「仕事」をしながらではあったけど
私は甘ったれだったので「やりきった」とはいえないけど
上京してみたり歌い手を目指してみたりは
私にしてはよくやった、と振り返って思える。
そしてその経験があるからこそ、突拍子もないキラキラにしか目が向いていなかった私は
何気ない日常の中で私らしいキラキラも見つけられるようになった。
普通すぎる自分に物足りなさを感じていた若い頃の私が求めていたのは
「周りがすごいねって言ってくれるキラキラ」で
それは客観的に見たキラキラで。
今は、追い求めた経験や現実をちゃんと通ってきたからか
主観のキラキラが見えるようになった。
本音を言うと、いまだに客観的にキラキラへの未練がゼロになったわけではない。(芸能の世界に、ではないですが)
第一線で活躍している人たちに憧れたりもする。
特別ななにかを持っている人を尊敬している。
それでも、私はいま、がむしゃらだった頃より幸せを感じる瞬間がたくさんある。
派手なキラキラじゃなく、ささやかなキラキラの方が本当は自分には合っていた。
それはかわいいカフェへ行ったり
おいしい紅茶を飲んだり
猫を愛でたり
そんな何気ないことで
私の毎日はキラキラしていた。
非日常に憧れた。
特別ななにかになりたかった。
たくさんの人に認めて欲しかった。
特別なキラキラを追い求めすぎて、手元にあるキラキラが見えなくなっていたけれど
私の日常、普通の生活に
キラキラはちゃんとあったのだ。
それがわかったのは、ちゃんとあがいたから。
地元に留まっていても、もしかしたらそこにたどり着けたかもしれない。
けれど、
上京したり夢を追い求めてみたり、苦悩してみたりしたからこそ
日常で感じられるキラキラこそ、私が守りたいキラキラだと気づけた。
いろんなことにチャレンジした経験に後悔は全くなくて
その経験すら背伸びした日常で、その日常の積み重ねが今の私を作っている。
日常をキラキラさせることはきっと誰でもできる。
自分好みのパン屋さんを見つけることでもいい。
おいしいコーヒーを淹れられるようになることでもいい。
客観的じゃなくて、主観的に日常を生きてみて。
普通すぎる、面白みのない日常たと思っていた何気ない毎日は
愛に溢れた日常だった。
人の目なんか気にせず、自分の主観を大事にしている人は
どんな人でもキラキラしてる。
まずは、生活の中でキラキラを見つけること。
朝起きて、朝食を食べて洗濯をして、なんていう日常すぎる日常の中に
何かエッセンスを足すだけで。
そして「わーっ!幸せ!」って思うだけで。
もっともっと幸せになれる。
これからも、私らしいキラキラをたくさん拾い集めていきたいと思っています。
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