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汗をかけ、涙を流せ——櫻坂46『油を注せ!』

自転車をモチーフにしたこの楽曲。自動車をモチーフにしたRCサクセションの名曲『雨あがりの夜空に』を隣におくと、途端にエロチックな解釈もできそうだが、本楽曲における油とは血液である。そして櫻坂で自転車といえば、欅坂46の『サイレントマジョリティー』だ。
彼女たちの物語はあの自転車全力疾走からはじまる。

また、アンダー曲という観点から、この曲とも関連が見られる。

コンセントレーション 愛は安心してしまうもの
心の糸が緩むみたいに 二人に距離ができた

欅坂46『コンセントレーション』

いつの間に錆び付いてしまったんだろう
庭先に立て掛けていた僕の自転車

櫻坂46『油を注せ!』

全力で走っていたはずなのに、どこかで安心していたのか。欅坂のアンダー曲と同様、表題メンバーに選抜されなかったメンバーの心境と重ねられる。自転車は漕ぎ続けなければ倒れてしまうし、放っておけば錆びついてしまう。日々の鍛錬とメンテナンス。過酷といえばそうだけど、これが自分たちの選んだ道なのだ。「油を注せ」は「汗をかけ」なのである。それこそ「汗血=血のような汗」を。
舞台上の彼女たちの衣装はベージュと青、赤の3色、つまり人間の肌の色と血液(動脈・静脈)の色で構成されている。しかし、無表情で踊る彼女たちは人間でありながらマネキンのようになっている。目隠しされた石膏像は、人間をリアルに表現したアートであるが、そこには血が通っていない。ある意味、洗練されたパフォーマンスとは人間性の否定なのかもしれない。しかし、ピカピカに磨き上げられた錆ひとつないパフォーマンスを前に武元はポップコーンを投げつけ、メンバーとともに情熱的なダンスを繰り広げる。

錆は悪くないんだ 酸化して行くだけなんだ

櫻坂46『油を注せ!』

血が赤いのは、酸化した鉄分による。
つまり、人間的であることは、錆とともに生きることである。

『サイレントマジョリティー』のメイキングか何かで小林由依が自転車を全力で漕いだ末に転倒してしまう場面があった。このとき、擦りむいて血が出たかもしれない。以来、『サイマジョ』を思い返すと小林の転倒シーンがセットで思い浮かぶようになった。本編でのロボットのように踊る彼女たちとメイキングでの小林の流した血の対比は、本作の「舞台」と「客席」の彼女たちの対比と似ている。転倒は具体的に「血」を連想させてしまうが、心を打つパフォーマンスには「血」が通っている、ということなんだと思う。あ、『サイマジョ』は心を打たないということではない(洗練されているというわけでもないが)。

では、洗練と人間性は両立しないのか?
武元が見せる昔の映画のオマージュの仕草や1サビで目もとをさす振り、石膏像が示すように、人間には鉄分をもたないもうひとつの血、涙がある。
ここでは、「油を注せ」は「涙を流せ」といっているのではないだろうか。
石膏像を破壊し、舞台と客席の彼女たちが融合すると、感情が爆発したパフォーマンスがはじまる。ここにきて、観ている私たちは目頭を熱くする。それは彼女たちも同様だろう。何故ならラストはみんな上を向いたまま終わる。涙がこぼれないように。

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