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二人ソニア——小池美波・遠藤理子/櫻坂46

ある時 僕に教えてくれた
幼い頃の秘密の話

ソニア

『ソニア』は語り手の「僕」が彼女の思い出話を聞くシーンから始まる。「僕」と彼女の関係性は父娘とか恋人とか解釈が分かれているみたいだけど、父娘の会話だとしたら娘が10代なのか大人の年齢なのかわからないし、パートナー同士だとしても二人の年齢によって解釈は相当変わる。関係性を決めるヒントは曖昧で、最終的には歌い手(センター)がどう解釈するかに委ねられている。

歌詞世界は、相手が語る物語が先行してあり、それを「僕」が聞いて語り直すという二重構造になっている。一人称で歌われることが多い欅坂・櫻坂の楽曲群において『ソニア』は特異的だ。こういう二重構造は小説的な手法として世界を重層化し深みを持たせる(例えば『源氏物語』も誰かが伝えた物語を紫式部が聞き書きしているという構成になっている)とともに、先行する物語に対して「僕」がどのように批評し関係性を築いていくかという「想像させる余白」のようなものが生まれる。

現在の「僕」と彼女も歳をとるし、回想のソニアも成長する。もちろん歌い手(センター)自身も。8th Single BACKS LIVE!!で遠藤の、9th Single BACKS LIVE!!で小池の『ソニア』を観て、この楽曲がもつ可能性に気づく。一期生曲『タイムマシーンでYeah!』が歳をとった後でも無理なく踊れるような振りになっているという話があったと思うが、『ソニア』もまた歌い手の人生に寄り添う長い寿命をもった楽曲になっている。10年後・20年後にも櫻坂46が存在していて『ソニア』がパフォーマンスされているとしたら、どんな物語が描かれるだろうか。

1st TOUR 2021
アンビバレントな感情を描く——小池美波

『ソニア』が初披露されたとき、メンバーみんなキラキラした笑顔でパフォーマンスする中心で、小池だけが一人泣きそうなどこか不安げで曖昧な笑顔を見せていたのが印象的だった。早くママのような大人になりたいと思っていた少女が年を重ねるにつれ、大人の自由を獲得する喜びと大人になってしまうことの淋しさが入り混じった思春期ならではのアンビバレントな感情に揺さぶられていく様をセンターとそれ以外のメンバーの対比によって表現している。小池はそのように過去を振り返る自分を演じる。

8th Single BACKS LIVE!!
純粋な憧れを解放する——遠藤理子

雑誌のインタビューで小池が「理子がソニアを純粋なものにしてくれた」といっていたように、遠藤のまっすぐな眼差しはピュアそのものだ。遠藤が演じるのは回想の中のソニアである。
リップを塗るとき、目の前にいるのは鏡に映った自分自身。そこには何が映っているだろうか。背伸びした大人の自分かもしれないし、小池の姿かもしれない。遠藤版ソニアを観た人は、彼女というフィルターを通して、自分自身の「ソニア体験」を回想する。自分にも早く大人になりたい思いから大冒険をしたことがあったな……みたいなことを回想しながら、それぞれの憧れの姿を鏡に映し出すのだ。この「ソニア体験」ともいうべき共有感覚が、遠藤とバックスメンバーによってつくられていく。

実はここに一期生と三期生の違いが出ていると思う。一期生、とくに小池は楽曲パフォーマンスにおいて求心的にセンターとしての「個」を結晶させていく。欅坂時代の楽曲はセンター対メンバーの対比で見せるものが多いせいもあるが、必然的にセンターに重圧をかける構造になっている。平手がいなくなってしまったとき、残されたメンバーは自分の「個」を見出すことが大きな試練であり存在理由になっていたと思う。欅坂のドキュメンタリー映画で小池が「平手が秋冬ならば私は春夏の二人セゾンを表現する」といったのもその過程にある。
一方、三期生たちの役割は、その重圧からセンターを解放することにあった。春夏秋冬と四季(セゾン)の順番を守るのでなく、軽やかに「夏の近道」を探すこと。センターが孤独にダンスするのではなく、仲間に囲まれた二人が笑顔で踊ること。また、周囲から指をさされる黒い羊ではなく、11人がそれぞれの「静寂の暴力」に耐えること。このように「個」への集中を分散させていきながら、しかし実際にはメンバーそれぞれの「1」を集めた強い「1=個」となる逆転現象を起こすこと。これこそ藤吉が「三期は集団として強い」と表現した所以である、多分。そして、三期生曲はすべてこのような構造(または演出)になっている。

9th Single BACKS LIVE!!
「弱さ」への眼差し——小池美波

W-KEYAKI FES. 2022からほぼ2年ぶりにセンターのバトンが戻ってきた。この2年間は、彼女にとって別れと喪失が多い期間だったと思う。でも、少しだけ大人になった彼女の微笑みは「それすらも愛おしい」という感情もあったのではないか。

敢えていえば、小林由依はグループの「強さ」を、小池美波は「弱さ」を象徴している。「弱さ」とは同情や保護を求めるというのではなく、表現のあり方として、「強さ」の肯定だけでなく「弱さ」への眼差しも忘れないという視点である。
それは、ライブの空気にも影響を与える。武元が座長を務めた8th Single BACKS LIVE!!ではメンバー全員の「強さ」が出ていたのに対し、石森がつくる9th Single BACKS LIVE!!は「弱さ」が会場を包み込んでいたと思う。本編ラストの『愛し合いなさい』では、石森はじめ全員が何かから解放されたような晴れ晴れとした表情を見せていたのが印象的だった。それが何というか「弱さ」への共感を誘うのである。これが8thのノリだったらMVの世界観そのままの強いパフォーマンスになっていただろう。

『ソニア』においても、「強さ」「弱さ」の表現力を得たメンバーたちに共有された体験が大きく作用する。センターとそれ以外の対比構造は解消され、メンバー一人ひとりが主人公になることで、8thでは遠藤の純粋さが増幅され、9thでは小池の切なさが増幅される。2年前は小池が率いる楽曲というイメージだったが、今は小池と共鳴したメンバーたちによるパフォーマンスに生まれ変わった。

そして、小池の表現力は、次の『風の音』との対比において発揮されるのだが、それはまた別の機会に。


井上も『ソニア』やってるけど、たくさんセンターやった中のひとつという感じで印象が薄いんだよね……。

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