ポジティブ精神もネガティブ精神も自分自身 「陰と陽」こそが「人」の本質
ポジティブ精神とネガティブ精神は表裏一体…。
いつしか人はポジティブな方向しか見なくなったなと感じています。
もちろん精神衛生的にはポジティブな事を考えたり見たりした方が良いと思うが、それでは「人」として未熟になりやすいと個人的に思う。
なぜなら「自分」がそうだったからだ。
今世の中は流行病があったりヨーロッパでは戦争への緊張状態。
このような状況でそれ(ネガティブ)を見ないと言うことは出来ない。
でも、私達は日々生活していく中でネガティブな事をスルーしていかないと過ごせない。
何かに縛られたように働かないと生きていけないのが実情。
「陰と陽」は表裏一体。
良い事も悪い事も起こるのが生きていく正常な時間の流れだと私は思います。
今はポジティブだけを考えて生きることは可能です。
でもネガティブは知らなければ人として成長は無いなと日々感じています。
よく失敗こそ成功のもとなんて言葉がありますが、私もフリーランスで動くようになって本当にそうだなと実感しました。
アスリートでも1度負けてから強くなる。
芸人でもウケない事で自分を鼓舞する。
クリエイターは納得出来るまで失敗を重ね生み出す。
必ず生きていく中でポジティブとネガティブは共存し、表裏一体すなわち「陰と陽」の中で時が過ぎていくんですよね。
日本の国旗もまた「陰と陽」表したデザイン。
昔から日本は特に「陰と陽」を意識して生きてきた。
日本書紀でも「天照」と「月読」が存在し、世の中の全ては「陰と陽」の世界で表裏一体だと書かれている。
「人」の本質もまた「陰と陽」で表裏一体。
「人間」とは「世の中」「世間」「人の世」を意味した言葉
だからポジティブな精神もネガティブな精神も「自分自身」だと私は解釈しています。
結局何事も思考が出来る間は「自分自身」との対話。
どちらも受け入れた先に自分という本来が見えてくると私は思います。
言葉で言うのは希薄かもしれませんが、私は数年「鬱」の症状があったと思います。
その時に色んな物を捨てたくなりました。
人間をも捨てたくなった時、自分のネガティブの底辺を覗いて思ったのは…「それも自分なんだ」でした。
それから落ちるところまで落ちて自分の弱さやネガティブを認めて這い上がってきました。
むしろ底辺からの這い上がりなので上がるのみ。
今はフリーランス(個人事業主)として生活しています。
それも「人」の本質を自分で理解したことが大きかったと思います。
自分自身の弱さや前向きな姿勢を認める事でようやく人として生きれるようになったかな最近は感じています。
noteではポジティブな記事がよく閲覧されているイメージがあります。
私はネガティブな記事も書くようにしているのは、ネガティブな記事が書けるからポジティブな記事も書けると私自身は思っています。
ポジティブな事ばかり並べると意外と面白くないというか、正論こそ正義みたいな感じに思えるんでよね個人的には。
人間ってそんな簡単な生き物でもないし、そんなに上手く生きれるはずもない。
ネガティブな経験こそ後の自分の糧になると、今は感じるようになりました。
人それぞれの思考なのであくまでも私の個人的な意見です。
ある程度の年齢になれば「正論」や「正義」だけでは世の中が成り立っていないというのが分かるでしょう。
私の言っている意味が分かると人はそれなりに経験をされた方だと思います。
「共有」は何も「ポジティブ」だけはなく「ネガティブ」も「共有」するとこで自分が成長出来ると私は思います。
「ポジティブ精神」も「ネガティブ精神」は表裏一体なんですよね。
少しでも皆様に気づきがあったらと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございました。