人の子は思いがけない時に来る
マタイによる福音
そのとき、イエスは弟子たちに言われた。
「人の子が来るのは、ノアの時と同じである。洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。
人の子が来る場合も、このようである。そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。
だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。
このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。
だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」
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太古ノアの時代、人類は洪水というかたちで、神から水の洗礼(バプテスマ)を受けた。
皆、水に沈められて、戻ってきた者はいなかった。
主の日、神の裁きの前に、地の表(おもて)は一掃(いっそう)された。
ただ後世に証(あかし)させるために、ノア一族だけが残された。
その伝承の先に、洗礼者ヨハネが現れる。
洗礼者ヨハネは、神の裁きが近づいていることを叫び、人々を再び水に沈めることで、悔い改め(神への回心)を呼びかける。
しかし歴史は繰り返す。
紀元70年、エルサレムの第二神殿は、ローマ帝国の攻撃により崩落。アブラハムの子孫ユダヤ民族国家は地上より消滅した。
そして洗礼者ヨハネの子孫達(弟子達)も歴史の舞台から姿を消して行く。
しかし同時に、残りの子らの中から、新しい運動が沸き起こる。
どこからともなく「神の国」到来の声が聞こえる。
彼等は皆、水と聖霊(火)による洗礼、イエス・キリストの名による洗礼をくぐり抜けた者たちであるという。
後世、歴史は彼等の共同体(エクレシア)が全世界に広まることを証する。
ある日のヨルダン川、洗礼者ヨハネによるイエスへの水の洗礼。そして同時に天からの聖霊の降下、「これはわたしの愛する子」、神からの承認の声。
繰り返す滅びから、ただ一度の永遠へ。
洗礼者ヨハネとイエス・キリストが交差する一点は、思いがけない時に訪れた。