[岩下壮一] 信仰の遺産

2015年3月、岩下壮一著「信仰の遺産」が岩波文庫として復刊されました。
明治・大正・昭和前期を生きた岩下壮一の書籍は、これまでほとんど絶版状態で、古書店でも見つかりにくい状況でした。
そのため、こうして新刊文庫として全国の書店で手に取りやすくなったことは、カトリック関係者のみならず、広くキリスト教に関心のある日本の読書人一般にとっても、その意義は大きいのではないかと思われます。
なぜなら、岩下壮一の語るカトリック教会観には、昨今のカトリック関連書籍ではなかなか見られない、カトリックの伝統的立場からの近代批判が多分に含まれており、それが現代の私たちにも強く示唆するところがあると考えられるからです。
ここでいう近代批判とは、いわば人間中心主義、理性中心主義に基づいた世界観の批判になります。批判という言葉が強すぎるのであれば問題提起と言ってもいいかもしれません。
私たち一人一人が、各々、自分の理性や感情が欲望するものだけを追求していけば、世界全体も自動的によくなっていく、という世界観が「近代」を構成しています。自由主義、個人主義などの概念もここに連なります。
岩下壮一の近代批判は、このような近代的世界観に対するカトリックからの問題提起といえます。
この近代的自我である「自分」が「自分達」にまで拡張されれば、いわゆる国家主義や民族主義になっていきます。
あるいは、より抽象的かつ広範な形で(経済)市場主義にもなっていきます。
市場主義においては、もはや人間の姿も薄くなり、利益や効率という「数字」自体が、自ら最大化を求めて人々を振り回していきます。
このことが引き起こす巨大な経済格差などの数々の問題については、現在も多くの経済学者が指摘するところです。
とはいえ、誤解のないように言えば、岩下自身はジャーナリストのように政治経済など社会問題への発言を積極的にすることはなく、あくまで一宗教者・哲学者として、宗教それもキリスト教の枠内での言論活動に留まっていました。
岩下壮一の近代批判は、主にプロテスタント批判の形をとって展開されました。特に無教会主義者との論争は有名です。しかしそれもプロテスタントをキリスト教の近代化現象として見てのことであり、あくまで近代批判の一側面であったと思われます。(もちろん当時のカトリック者としては、主要な側面であったに違いありませんが。)
さて、時代は変わりましたが、現代もまた近代の延長である限りは、岩下の近代批判の視点は依然有効性を持っていると、私には思われます。
しかし、それは岩下の語る視点の普遍性ゆえであって、批判対象は二義的なものだと考えます。
このエキュメニズム(教会一致促進運動)の流れの中では、もはやプロテスタント批判を強調することは不毛のように思われます。
お互いの共通点を見出していく地道な対話の方がより実り多い、と考えます。
私のような一般信徒で、様々な宗派を比較熟考してカトリックになったというよりは、人生の偶然の成り行きのようなもので、カトリック信徒になってしまった者には、特にそう思われます。
本書は、けっしてカトリック入門でもキリスト教概論でもありません。哲学・思想の難解な部類に入るかもしれません。本が書かれた時代背景の制約もあります。
しかしカトリックが伝統的に保持してきた知的枠組みと、その現代的ポテンシャルを理解したい方には、きっと得るところが大きい書物であると思います。
 

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