イエスの言葉(マタイ5:20)

福音書のイエス・キリストの言葉。
主はいつくしみ深く、そのあわれみは永遠。(典礼聖歌133番)

【マタイ5:20より】

「言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。」(新共同訳)

「あなたがたに言っておく。もしあなたがたが律法学者やファリサイ派の人々以上に神のみ旨(むね)を行う生活をする者でなければ、あなたがたはけっして天の国に入ることはできない。」(フランシスコ会聖書研究所訳)

「我なんぢらに告(つ)ぐ、汝らの義、学者・パリサイ人に勝らずば、天国に入(い)ること能(あた)はず。」(文語訳)

「わたしは言う、あなた達の行いが聖書学者やパリサイ人以上にりっぱでなければ、決して天の国に入ることはできない。」(塚本虎二訳)

「私は言う、もしあなたたちの正義が律法学士やファリサイ人たちのそれに優(まさ)らぬかぎり、けっして天の国には入れぬ。」(バルバロ訳)

「われなんじらに告げん。学者とパリサイの人の義しきよりも、なんじらの義しきことすぐれずば、かならず天国に入ることあたわじ。」(内村鑑三訳)


【感想】
・通りの向こうには、いつも律法学者やファリサイ派が闊歩(かっぽ)している。
・社会の権威として、あるいは良心として、あるいは民衆の指導者として。
・彼らにはこの世の安定があり、秩序があり、そして永続がある。
・しかし、彼らを仰ぎ、模範とし、従っている限り、その「天の国」は地の国の延長に過ぎず、それは逆説的に天の国の到来の回避、先延ばしとなる。
・既存の律法学者やファリサイ派の権威を超える時、単なる反抗ではなく、権威そのものの人為性を見通す時、それらが真に新しい存在を決してもたらさないことを見抜く時、人は天の国への一歩を踏み出しはじめる。
・その天の国は、地の国の延長ではなく、叡智(えいち)で造られる国であり、自ら地の国に到来し、地の国を貫く。そして真に新しい存在を誕生させてゆく。
・新しさは聖霊によって産まれ、聖霊によって産まれる新しさだけが、常に「新約」を特徴付ける。

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