イエスの言葉(マタイ5:15)
福音書のイエス・キリストの言葉。
光の照らしという祝福。
【マタイ5:15より】
「また、ともし火をともして升(ます)の下に置く者はいない。燭台(しょくだい)の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。」(新共同訳)
「また、灯(ともしび)をともしたとき、それをますの下に置く人はいない。燭台の上に置く。こうすれば、それは家の中のすべての人々のために輝く。」(フランシスコ会聖書研究所訳)
「また人は燈火(ともしび)をともして升の下におかず、燈台(とうだい)の上におく。かくて燈火は家にある凡(すべ)ての物を照らすなり。」(文語訳)
「また、せっかく明りをともして枡(ます)をかぶせる者はない。かならず燭台の上に置く。すると、家の中におる人を皆照らすのである。」(塚本虎二訳)
「また、灯(ひ)をともせばますの下に入れず、燭台の上に置くものだ。こうすれば明かりは部屋じゅうの人を照らし出す。」(バルバロ訳)
「燈火をともして升の下におくものなし。燭台の上におくなり。しかして燈火は家にあるすべてのものを照らすなり。」(内村鑑三訳)
【感想】
・すべてのものを照らす、意識(awareness)の光。
・すべてのものの本質を開示する光。意識と本質(井筒俊彦)。
・自己中心という歪められた意識の枠。光を隠すベール。かぶせられた升。
・その内側で生きる「私」という存在。
・「私」が見ているものは光なのか、升なのか。
・「私」の上空に掲げられる十字架の光。
・ユダヤ人にはつまづかせるもの、異邦人には愚かなもの。
・しかし、召されたものには神の知恵であるキリスト。
・理性を超えた信仰。キリスト教。