[澤田和夫] 聖書で祈る:御父の愛
澤田和夫神父の『聖書で祈る』より、「御父の愛」。
ーーーーーーー
ヨハネによる聖福音第16章(23−30)を静かに読みましょう。最後の晩さんのあとのことでした。イエズスさまは、でしたちにこうおっしゃいました。
「これはほんとうにほんとうのこと、あなたがたが御父にお願いすることは、わたしの名で、くださいます。」
これは、どういうことでしょうか。イエズスさまはでしたちに、御父への祈りを教えていらっしゃるのでしょう。「わたしの名で」というのは、どういうことでしょう。それは、イエズスさまと親密に結ばれてする祈りが、御父に聞き入れられてきっと実現するということにちがいありません。
御父と主イエズスとはご一体で、その主イエズスと親密に結ばれてする祈りは、御父の心にかなう祈りだからです。主イエズスの救いが、わたしのうちに、われわれのうちに実現しますようにという祈りは、きっと聞き入れられる祈りなのです。「み国の来たらんことを!」イエズスさまはつづけておっしゃいます。
「いままでは、みんなは、なにも、わたしの名で願うことはしませんでした。これからは願いなさい。そうすれば、あなたがたの喜びは、完全になる。」「こういうことを、わたしは、たとえで話しました。これからは、もう、たとえではなく、あからさまに、御父のことをお話しするときが来ます。その日、みんなは、わたしの名で願うようになります。そして、わたしが、みんなのために御父に祈ろうとはいいません。御父ご自身、あなたがたを愛していらっしゃいます。」
なんとすばらしいことか。イエズスさま、あなたが、教えてくださったもっともすばらしいことの一つは「御父は、あなたがたを愛する」ということ。
「みんなが、わたしをほんとうにだいじにして、わたしが神から出たということを信じているからです。わたしは御父から出て、世界に来ました。いまは世界を去って御父へと行きます。」
イエズスさま、あなたこそ、父なる神から世界にいらっしゃったおかた。そして世界を神に連れもどすかたなのです。
でしたちはいいました。
「いまになって、ようやく、あなたは、たとえではなく、はっきりと話してくださいます。あなたがすべてを知っていらっしゃるということ、そして、あなたに問いただす必要はないということが、いまこそわかりました。あなたが神から出たかただということを、いまこそ信じます。」
最後の晩さんのあとのこと。でしたちとイエズスさまとのもっとも親しい対話。
いまこそ、信じます、というでしたちにみちびかれて、わたしたちもいいます。いまこそ信じます。あなたが神から出たかただということを。そして、神はわたしたちを愛してくださるということを。
ーーーーーーー
(沢田和夫著『聖書で祈る』P.23-26 ユニヴァーサル文庫)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?