[岩下壮一] 序論と核心

岩下壮一神父の神学論文集「信仰の遺産」は、本書序文を書いた弟子の吉満義彦(よしみつよしひこ)によれば、岩下本人にとっては序論的なものであったようです。
しかしながら、もし本書が「心深く読まれる」ならば、岩下壮一の思想の核心に触れることもできる、と吉満は言っています。

「昨秋神山復生病院の直接経営の任を退かれんとするに当って、自らの本格的著作活動は寧(むし)ろこれからであるとされ、従来のものは意に充たざる序論的のものとしてしか考えていられなかった岩下師の学的営みを、ここの諸論考を以て偲ぶのほかなくなったことは、かねて師の学問的諸意図をうかがい知らされ、又(また)師がそれ等の実現遂行のための能力を十二分に有していられた事を余りにもよく知らされていたものとして、寔(まこと)に堪えがたきまでに遺憾なことであるが、然(しか)し又我々はここの一巻に収められたものにおいて、既に師の思想と学識と精神の生命的核心に触れしめるに充分なるものが漲(みなぎ)り溢れていることを、而してそれが心深く読まるる時には永遠に新しく生命的なる真理を指示し続け、愬(うった)え続けるであろうことを確信するものである。」(岩下壮一『信仰の遺産』(岩波文庫 P.13))

人の思考や思想が反映された文章には、それがたとえ序論、序文、断章、ノート断片、あとがき、のようなものだったとしても、かえって本人にも思わぬかたちで、ことの本音・本質が簡潔にさらけ出されている場合があります。パスカルの「パンセ」は、その代表的なものでしょう。
「心深く読む」読み手にとって、著者の思想の精髄を受け取るには、断片だけでも充分なのかもしれません。
 

いいなと思ったら応援しよう!