木洩れ日の国
小高い丘の上の小さな小屋。
ここにいると、世界に2人だけみたいだ。
きらきらと輝く木漏れ日の中、心地よい風に吹かれ寝転びながら本を読んでいる彼女のことを眺めていると、彼女は本を膝の上に置いて、話し始めた。
「“もったいない”ってあるじゃない?」
「どうしたの?急に」
「 “もったいない”っていう単語は英語には存在しないらしいね」
僕は彼女のとなりに座り直して話を続けた。
「ああ、そうだね。英語でもそのまま、“MOTTAINAI”って書かれてるらしいしね」
「逆に、日本語に成れない単語って言うのも、あるんじゃないかなって思って調べたの」
「ほう」
「一番素敵だったのが、“ヒライス”」 全体的にくらい
「どういう意味?」
「帰ることが出来ない場所への郷愁と哀切の気持ち」
彼女の手が本の上で小さくもがいた。
「帰ることが出来ない...」
「うん。私の、あの街のこと」
「...美しいね」
「うん。自分の気持ちを表せる言葉があるって、悲しいけど、心地が良いみたい」
こういう時にかける言葉が見つからない。言葉に詰まって、気の利いたことなんて言えるはずがない。
彼女は隙間を埋めるように、ゆっくりと、本に栞を挟んだ。
「...翻訳、できないといえばさ。方言っていうのもあるじゃない?」
「英語にすると全部一緒になっちゃうやつだ」
「中学生の頃先生から聞いた話だけど、日本語は他の言語に比べると、変化しやすい言語らしいんだ。新しい言葉もどんどん生まれるし、古い言葉もどんどん失われていく」
「アイヌ言語とかだね」
「うん。そのうち、僕たちは、気持ちを表す言葉を全て失ってしまうのかもしれない。自分が今使っている言葉が次々消えていって、言の葉の森がどんどん枯れていく事を想像するとなんだか怖いな。」
うつむいたままそう言うと、視界の端で彼女が動いた。
目線を向けると、彼女は僕に本を渡した。
思わず受け取ると、彼女は小屋の中を自由に歩きながら、言葉を発した。
「語彙力が無くなってるわけじゃなくて、更新されているって考えたら良いんじゃないかな。茂りすぎた原生林を、適切に伐採して、残した木々も剪定して、自分だけの美しい箱庭を作るんだ。」
「君の箱庭は美しそうでうらやましいよ」
「きっと、隣の芝生は⻘く見えるんだ。綺麗だと思って踏み込んでみたら、案外手入れの行き届いていないところとか…雑草だって生えてるよ。きっと。」
「雑草という名前の花はない。誰も名前を知らないような花にもちゃんと水をあげてる君の箱庭は、どこまでも深いブルーで輝いている。」
ふと彼女は歩くのをやめ、こちらを見ると無邪気そうな顔でこちらに歩み寄り、僕が座っていた椅子に詰めて座ってきた。
「最近出てきた言葉に、“エモい”ってあるじゃない?」
「ああ、“やばい”と並ぶ語彙力破壊兵器だ」
「“エモい”って、英語の“EMOTION”から来たはやり言葉だって思ってたんだけど違うんじゃないかって思い始めたの」
「違ったんだ」
「あれは、“えもいわれぬ”っていう言葉の短縮形なんじゃないかって」
「“えもいわれぬ”」
「うん。元々は“えも言はず”っていう古語なんだけど、人はそれを “えもいわれぬ”っていう現代語に直して長い時間育てて、この世にエモいっていう新しい言葉として生まれ変わらせたんじゃないかなって。姿形を変えながらも、日本人は言葉に出来ない感情を“エモい”っていいながら何百年も前から大切にしてきたんだ。言語化出来なくても、感動は出来るんだ。そう思うと人間ってすごいんだよ、きっと。」
「やっぱり、君の箱庭は美しい」
「...君の箱庭も、負けとらんとおもうよ」
久しぶりに聞いた彼女らしい言葉に驚いて彼女の方をみると、彼女は、恥ずかしそうに笑っていた。
「さあ、旅の続きをしよう」
立ち上がった彼女のその、おどけたような口調は、きっと照れ隠しだ。
「どこに行こうか」
「そうだな。“ヴァシランド”がいいな。」
「比喩じゃなかったんだ。どこにあるの?」
彼女はちいさく笑った。
「教えない」
そういうと彼女は、小屋の縁にもう一度座り直し、空を見上げた。
つられて僕も空を見る。
「君となら、どこでもいいか。」
その時、木洩れ日の風が僕らの周りを通り抜けた。
風は麓の街まで駆け抜けていった。
END
extra:雨模様の世界線。
立ち上がった彼女のその、おどけたような口調は、きっと照れ隠しだ。
「雨がやんだらね」
「雲の上はいつも晴れだよ。」
僕は、小さく笑った。
「どこに行こうか」
「そうだな。“ヴァシランド”がいいな。」
「比喩じゃなかったんだ。どこにあるの?」
彼女はちいさく笑った。
「教えない」
そういうと彼女は、小屋の縁にもう一度座り直し、空を見上げた。
つられて僕も空を見る。
「傘はある?」
「一本だけ、あったよ。」
彼女の瞳は、木洩れ日みたいにきらきら輝いている。
END