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早く目を覚ましてくれ

「学生時代に力を入れたことは?」「なぜそれに力を入れたの?」
面接では、一般にこういった質問が投げかけられる。

上のような質問と答えのラリーから形成された面接は、はっきりいってカスだ。機転の利く嘘吐きが勝ち上がる、欺瞞に満ちた儀式である。
何故カスといえるのか、その理由は星の数ほど存在するが、ここでは「意思決定に明確な理由を求めすぎている」ことを挙げたい。よく意味が分からないと思うが、安心して読み進めてほしい。

前述した通り、就職活動や転職活動では、意思決定の理由を問われる。
「なぜそのバイトを始めたの?」「なぜやめたの?」「なぜ今の大学に入ったの?」と、こういった具合に。

そもそも、意思決定の背後にある理由を特定することなど、不可能である。より正確に言えば「自分の行動原理を分かった気になっている(ようで分かっていない)」のである。

この議論に対する理解を深めるため、下で引用する伊集院光さんと立川談志さんの対談に、ザっと目を通してほしい。

伊集院光「僕は落語家になって6年目のある日、若き日の談志師匠のやった『ひなつば』のテープを聞いてショックを受けたんです。『芝浜』や『死神』ならいざ知らず、その時自分がやっている落語と、同じ年代の頃に談志師匠がやった落語のクオリティーの差に、もうどうしようもないほどの衝撃を受けたんです。決して埋まらないであろう差がわかったんです。そしてしばらしくして落語を辞めました」

立川談志「うまい理屈が見つかったじゃねぇか」

伊集院光「本当です!」

立川談志「本当だろうよ。本当だろうけど、本当の本当は違うね。まず最初にその時お前さんは落語が辞めたかったんだよ。『飽きちゃった』とか『自分に実力がないことに本能的に気づいちゃった』か、簡単な理由でね。もっといや『なんだかわからないけどただ辞めたかった』んダネ。
 けど人間なんてものは、今までやってきたことをただ理由なく辞めるなんざ、格好悪くて出来ないもんなんだ。そしたらそこに渡りに船で俺の噺があった。『名人談志の落語にショックを受けて』辞めるなら、自分にも余所にも理屈つくってなわけだ。本当の本当のところは、『嫌ンなるのに理屈なんざねェ』わな」

図星だった。もちろん『ショックを受けてやめた』ことは本当だし、嘘をついたり言い訳をしたつもりなどなかったが、自分でも今の今まで気がつかなかった本当のところはそんなところかもしれないと思った。10年もの間、いの一番に自分がだまされていたのだから、完全には飲み込めていないけれど。

「のはなし」伊集院光 宝島社

今一度、自分の意思決定に思いを馳せてみてほしい。あのとき部活に入った理由、大学に入った理由、就職先を選んだ理由、それらをやめた理由……それはどんな理由なのだろうか。
面接で問われれば、器用な人であれば一応「それっぽいこたえ」を出せるだろう。けれども、本当の本当の理由は、多くの場合、違うところにあり、様々な要因が複雑に絡み合ったものである。

ぼくは一度大学院を中退しかけた。その際、親に投げかけた理由は「自分のやりたいことが出来ず、教授と馬が合わない」というものであった。嘘をついたつもりはなかったが、今から思い返せば、その理由はあまりにも綺麗すぎ、それゆえに嘘くさかった。
ぼくも、落語をやめた伊集院光と同じく「なんとなく研究(伊集院の場合は落語)に向いていない」ことを察知し、嫌になり、やめたくなったのだ。その感情を綺麗にパッケージングするべく「自分のやりたいことが出来ず、教授と馬が合わない」という、もっともらしい理由を用意したのだ。

ここまでの議論を読めば、就職活動や転職活動で「なぜそうしたの?」と執拗に問う愚かさが理解できるのではないだろうか。そんなことを問うたところで、本当の答え、真実などは得られない。故に、志願者の性格・行動原理を把握できるはずがない。そこから分かることは、その人物の頭の回転の速さ(機転の利き具合)だけである。

最後に、欺瞞にまみれた不完全な市場、つまり労働市場での競争に敗北したからと言って、全く悲観する必要はない。知的活動の経済価値が下がるであろうこれからの世界では「機転を利かせてそれらしいことを宣う力」よりも、気の合う友人を大切にし、自身が安心できるコミュニティを見つけ、属することの方が重要である。気の合う友達を、パートナーを大事に。

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