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Book introduction: Good Economics for Hard Times -3-

こんにちは。

前回に引き続き『絶望を希望に変える経済学』の紹介をしていきます。第一回では著者らのノーベル経済学賞の受賞内容について解説し、第二回では本書執筆に対する著者の想いを紹介しました。

"どんな人が、どんな想いで"の次は"何を述べているのか"に迫ります。


本書のトピック

本書で取り上げられているトピックは、移民問題、貿易問題、差別問題、経済成長、環境問題、貧困問題です。これら個別の問題の後に、政府の役割や、人々の尊厳に配慮することの重要性について書いています。

それでは各章の内容を簡単に見ていきます。

※本記事では細かい議論は掲載しませんので、疑問を感じた点や納得できない点はぜひ書籍を確認してください。


移民問題

ブレグジットやトランプ大統領による壁の建設などに代表されるように、世界の至る所で移民を排斥する流れが生まれています。こうした移民排斥の流れは誤った情報に基づいた推論が原因となっています。それは、貧しい人々は賃金や生活の水準が向上するならすぐにどこにでも移住したいと思っており(つまり潜在的な移民が非常に多くいて)、流入してきた移民は現地の賃金水準を低下させる、というものです。そのため、壁を設けなければ大量に移民が流れ込み、現地の人々の生活を脅かすのだというのです。

しかし、この章では人々はそれほど簡単に移住しないうえに、低技能移民が移住先の人々の賃金水準に与える影響はごくわずかである(プラスのこともある)ことが示されています。

まず、多くの人には地元や親しい人々に対する愛着があります。また、貧困層は貯蓄などが十分でないため、移住や出稼ぎが命がけの決断となることも少なくありません。こうした理由からどうしようもない場合(難民など)を除いて多くの人は移住をしないことが分かっています。これは国家間の移動に限った話ではなく、国内の農村部から都市部への移動にも当てはまります。

また、移民の流入により労働供給が増加すると賃金水準が下がるように思われますが、移民が移住先で消費を行うことで労働需要が増加するためこの影響は相殺されると考えられています。加えて、移民は言語の壁や雇用主からの信頼の欠如(*)などの影響で、現地で元々働いている人々の仕事を奪うほどの競争力を持たない場合が多いのです。

(*)雇用主はすでに働いていて性格や技能などをよく知っている人を解雇してまで新しい労働者を雇うインセンティブが低い。

こうした事実を踏まえると、移民の流入に関してはハザード(移民流入による悪影響)と頻度(移民流入の可能性)のどちらもが過大評価されていると言えます。



貿易問題

本書が出版された2019年当時は、トランプ大統領による

マクロ経済学では、各国が国内で相対的に生産性の高い製品を生産して交換することで、各々が全ての製品を少しずつ生産するよりも全体の生産性が上がり、世界経済のパイが大きくなると考えます。そして、パイが大きくなれば、市場によるリソースの再分配や政府による所得の再分配で、貿易によって損をした人も含めて全員が得をすることになります。

この理論では、貿易によって淘汰された産業のリソース(労働者、資本など)は市場原理によって速やかに再分配されると想定されています。これは逆に言えば再分配が充分に行われなければ勝ち組と負け組が生まれることを意味しています。実際、リソースは我々が求めているほど短時間では移動しないことが明らかになってきています。貿易の影響で失業した人が新しい土地や仕事にすぐにシフトできるわけではないということは容易に想像できると思います(移民問題でも述べた移動性の欠如がここでもキーポイントとなっています)。こうしたことが労働力などのリソースが素早く最適に再分配されないことの一因となっています。

リソースの再分配が充分でないとすると、政策によってその格差が是正されなければ貿易を正当化することはできません。現在は、政府による補償や支援が不十分であるために貿易による損失が特定の人々に偏ってしまい、先進国の中でも勝ち組と負け組が生まれています。結果として、いわゆる負け組となって尊厳を傷つけられた人々とそれ以外の人たちの間の分断を引き起こしてしまっているのです。

著者らは解決策として、貿易により打撃を受けた人々の移動や転職の支援を行い、補償を拡充することを提案しています。(トランプ大統領が進めていた関税導入は、貿易戦争を引き起こし、負け組となる産業が変えるだけで本質的な解決にはならないという意見のようです。)

またこのような政策を行う上では、人々の尊厳に配慮することが重要だといいます。特に、長くその産業に従事してきた人にとって仕事は容易に取り替え可能なものではなく、個人のアイデンティティと強く結び付いています。そうした配慮が欠けていると更なる分断に繋がってしまうのです。



差別問題

これまでの多くの社会科学の研究から、人間の選好(好き嫌い)は首尾一貫したものではなく、周囲の状況によって大いに変わりうることが分かってきています。また、一見合理的とは思えない集団の行動も個々人の合理的な判断から連鎖的に生じる得ることや、集団の利益を優先した結果、規範を破る者への暴力や差別といった行動に繋がってしまうということが経済学の理論で説明されるようになってきました。つまり、合理的に判断しているつもりでも人間は不合理な行動をとってしまうことがあるということです。

また、人間は自身の間違いを認めて考えを変えることを拒む傾向があります。自分の間違いに気付いてしまった時には、思考を停止したり、相手の悪いところを探して責めたり、自身に都合の良い情報だけを選び取るといった防御反応を起こします。初めは本能的な防御反応だったものが、次第に本人の中で隙の無い論拠のようなもの形成し始めます。

人間は誰でもこうした思考パターンに陥りやすく、また社会的選好が社会的文脈によって変わることを認めれば、相手の考えを一方的に否定して「◯◯主義者」と呼ぶのは不適切だと言えるでしょう。しかも、そのような相手を侮辱して尊厳を傷つけるような態度は、こうした思考パターンが防御反応の結果であることを踏まえると反発を招いてしまい逆効果となるでしょう。

著者らは、移民問題などの意見の対立が起こっている部分に正面からぶつかるのではなく、別の政策課題に目を向ける方が有意義だと人々に考えさせるのが有効であると述べています。また、多様な人種や社会的背景をもつ人々との初期の接触も偏見を減らすのに効果的なようで、教育機関における多様性を高めることも重要です。



今回は以上です。いかがだったでしょうか?個々の問題を丁寧に見ていくと、問題同士が相互に関連していることが見えてきます。次回は経済成長や環境問題、貧困問題について見ていきます。


参考

[1] 『絶望を希望に変える経済学 社会の重大問題をどう解決するか』, アビジット・V・バナジー&エステル・デュフロ 著, 村井章子 訳, 日本経済新聞出版社.

[2] 『政策評価のための因果関係の見つけ方』, エステル・デュフロ&レイチェル・グレナスター&マイケル・クレーマー 著, 石川貴之&井上領介&名取淳 訳, 日本評論社.

[3] 『大学4年間の経済学が10時間でざっと学べる』, 井堀利宏 著, 角川文庫.


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