Book introduction: Good Economics for Hard Times -1-
こんにちは。
今回から数回にわたって『絶望を希望に変える経済学 社会の重大問題をどう解決するか』(原題; Good Economics for Hard Times)を紹介します。
この本は、2019年ノーベル経済学賞を受賞したAbhijit Banerjee氏, Esther Duflo氏による受賞後初の著作です。※上記2人と同時にMicheal Kremer氏が受賞しています。
彼らは開発経済学分野においてフィールドでの実証実験を駆使して貧困に関する研究を数多く行ってきました。当著作では、そんな彼らが、これまでの経済学の研究成果や多くのデータを基に世界が抱える諸問題について論じています。
第1回の今回は、本の内容に入る前に彼らのノーベル賞受賞内容について解説します。内容は主に研究成果を一般向けにまとめた"POPULAR SCIENCE BACKGROUND"を参考にしています。
(本記事の執筆者は経済学を専門としておりません。間違いなどがございましたらコメントいただけますと幸いです。)
貧困を減らす闘い
2019年のノーベル経済学賞は、彼らの世界の貧困を緩和するための実験的アプローチに対して("for their experimental approach alleviating to global poverty")与えられました。
過去20年間で人々の生活水準は世界中のほぼ全ての場所で著しく改善してきました。例えば、一人当たりGDPで測定した経済的幸福は1995年から2018年の間に最貧国で2倍になり、乳幼児の死亡率は1995年に比べて半分になっています。
しかしながら、未だに課題は残っています。例えば、7億人以上の人々が依然として非常に低い所得で生活しています。毎年500万人の子供が5歳の誕生日を迎える前に亡くなっており、その多くは予防可能であったり、比較的安価に治療可能な病気であることが多いのです。また、世界の半分の子供たちは基本的な計算能力や識字能力を持たずに学校を卒業してしまいます。
彼らはこのような世界の貧困という大きな問題に立ち向かうため、精緻に設計されたフィールド実験を利用して、個別の問題にそれぞれ答えを出していく手法を発展させてきました。この手法は、現在では開発経済学という分野の一般的な研究方法として定着しています。
研究のポイント
彼らの研究を理解する上でのポイントを私なりに3つにまとめました。
・問題の細分化・具体化
・フィールド実験による実証
・理論との結び付け
それでは、一つずつ見ていきましょう。
問題の細分化・具体化
彼らが扱うのは、貧困家庭の子供への教育効果を高めるための効果的な施策はどのようなものか、貧困層の子供たちに予防接種を受けさせるにはどうすればよいか、といったかなり具体的で細かいテーマです。
貧困問題を個人やグループ単位に分割し、問題設定を具体的かつ正確に行うことで、アウトカムが測定しやすくなり、データ数も稼げるため、フィールド実験による実証が容易になるということだと思います。
フィールド実験による実証
そうして細分化された問題の一つ一つに精緻に設計されたフィールド実験で答えを出していきます。
フィールド実験には、プログラムの因果効果を実証できるというメリットがあります。
一例として、貧困層の子供たちの学習の質が低い原因を資源の不足だと考え、解決策の一つとして教科書へのアクセスを改善する施策が貧困家庭の子供にどれほどの教育効果があるか検討することを考えます。
この場合に、教科書へのアクセスが異なる学校や子供を比べるのはうまいやり方ではありません。なぜならそれらの学校や子供たちの間には他にも多くの違いがあるからです。例えば、裕福な家庭ほど子供に多くの本を買い与えるでしょうし、貧困家庭の子供が少ない学校の方が平均的な学力も高いと考えられます。これでは教科書へのアクセスが良いから学力が高いのか、裕福だから学力が高いのか区別することができません。(この場合の裕福さを「交絡因子」と呼びます。)
フィールド実験では(教科書のアクセス改善などの)プログラムを受ける子供や学校をランダムに決め、後から介入を行う(前向き研究)ため、上記の問題を回避してプログラムの効果を正確に測定することができます。この介入の有無をランダムに決める試験方法をランダム化比較試験(RCT)といいます。
そして、フィールド実験にはもう一つの重要なメリットがあります。それは、実際の生活環境で試験しているために、効果が実証されたプログラムを政策として導入しやすいということです。(当然ですが実際には様々なハードルや注意点があります。詳しいことが気になる方は参考[4]をぜひ手に取ってみてください。)
彼らの研究から派生した教育プログラムは現在10万人以上のインドの子どもたちに届けられています。
理論との結び付け
彼らの研究の最後のポイントは、フィールド実験の結果を説明するために、背景にある人々の行動原理を理論と結び付けていったということです。
少し話が逸れますが、しっかりと設計されたフィールド実験では、実験の対象となった母集団に対しての効果が保証されます。これを内的妥当性(internal validity)があると言います。
しかし、ここで問題となるのが外的妥当性(external validity)です。これは、プログラムを単純に拡大しても同程度の効果が得られるかといった問題やケニアで実験したプログラムをインドで導入しても同じような効果が得られるかというような結果の一般化の問題を含んでいます。
一般化に関して言えば、ケニアの人とインドの人では、文化的・経済的・人種的な文脈などの様々な違いがあります(実験が行われた時期によっては時代背景なども大きく違うかもしれません)ので、インドの人に対しても同じようにRCTを行わなければ本当に効果があるかは判断できません。しかし、コストや時間、研究の特性などの理由から、あらゆる対象に対して実験を行うわけにはいかない場合が多いと思います。また、プログラムにはパターン(無償給付プログラムを例に取ると、対象の選定基準、金額、申請方法などの組み合わせ)が無限に存在し、全てを試すことはできません。
そのような中で、実験結果の理論的な説明は、一般化可能性や持続可能なプログラムの設計のための道標を示してくれます。抽象的ですが、このプログラムがうまくいったのは試験の対象となった人々がこのような意思決定を行なったためだろうから、同様の特性を持つ対象に対して似たような介入が期待できるだろうといったことを予想できるようになります。(とは言え、あるプログラムにおいて、ある程度普遍的な効果が認められるためには、RCTを繰り返して様々な文脈で成り立つことを確認して科学的なコンセンサスを形成していく必要があります。)
いかがだっでしょうか?今回は著者の研究内容について解説しました。
複雑な問題を細かく分割して正確に問題設定を行うこと、検証可能な形で実験すること、結果だけでなく背景も丁寧に考察すること、これらはビジネスの場においても非常に重要な考え方なのではないでしょうか。
次回からは書籍について紹介していきます。貧困問題の研究に取り組んできた著者らが本著作に込めた想い、彼らが世界の諸問題をどのように捉えているのかを見ていきます。
次回もよろしくお願いします。
参考
[1] 『絶望を希望に変える経済学 社会の重大問題をどう解決するか』, アビジット・V・バナジー&エステル・デュフロ 著, 村井章子 訳, 日本経済新聞出版社.
[2] Press release: The Nobel Prize in Economic Sciences 2019 & POPULAR SCIENCE BACKGROUND.
[3] 『「原因と結果」の経済学 データから真実を見抜く思考法』, 中室牧子&津川友介 著, ダイヤモンド社.
[4] 『政策評価のための因果関係の見つけ方』, エステル・デュフロ&レイチェル・グレナスター&マイケル・クレーマー 著, 石川貴之&井上領介&名取淳 訳, 日本評論社.