無有好醜の願⑴
「もし私が仏になる時、私の国の人たちの形や色が同じでなく、見好き者と酷き者とがあるなら、私は仏にはならぬ」
柳宗悦は戦後、東洋的な平和への道しるべとして、この『無量寿経』のなかの第四願に着眼した。
「私」とは、阿弥陀如来となる以前の法蔵菩薩を指す。
しかるに弥陀は既に仏となっているのだから、この願は達せられているのである。
柳は好醜を美醜と読み取り、仏の国では、美醜の別は存在しないとした。
「仏の国には美と醜との二がないのである」と説く柳にとっては、
仏性はそういう二元の絶えた無垢のもので、あらゆる対立が消えてしまう性なのである。
それは、「生死なき本分」であり、有無を越えた「無」であり、「空」である。