当たり前に横たわるルッキズム
今、現代童画会に出す絵を描いているところなんですけど、好き勝手に描いている時には気にならなかったルッキズムが気になっています。
絵って自由な表現だと思ってたんですけどね、公募展とか批評会に出て「むむ」って思ったのが、案外と題材やモデルの美しさが評価の基準になるように感じたのです。
割と頻繁にモデルがきれい、って言葉が出てくるのですよね。
私は割とルッキズムには敏感で、自分はフラットでありたいと思っているのです。いや、もちろん、美しい物は賞賛いたしますが、生まれながらのいびつさをそれだけの理由でさげすんだりはしたくないのです。
横道ですが、幼いころに自宅で野良猫が子猫を産んでしまった際、誰にももらわれなかったサビ柄の猫を(親は雑巾猫と呼びました!酷い!)絶対飼いたい!と親に凄んで家猫にしたのです。お利口でかわいい猫でしたよ、みーちゃん。当時から見た目で選ぶのっておかしいと思っていました。
で、そんな私なのであんまりモデルの良し悪しって考えてなかったんですが、6月に参加した講評会で先生が絶賛した絵でハタと思ったんです。
その絵は、まぁ言ってみれば実験段階で、色々詰めが甘い。
それを先生が絶賛したのはなぜだろうと思ったんですが、多分「顔」です。
他の作品と比べてこれが一番「顔」が美形だったんですよね~💦
で、展覧会でも画題がイケメン・美女が画題の作品が高評価でした。
んー、良く言えばコツというかツボを掴んだと言えるのですが。
なんか私の表現したいこととは違う。
「顔」かぁ~…
(顔の謎が知りたくて「日本顔学会」の幽霊学会員なんです。一回参加したらあんまりルッキズムの謎が解けなさそうで、幽霊学会員継続中)
まあねえ。絵画は「売れたら」飾られるものですから、美しいに越したことは無いのですが。
そしてほとんどの人が「美しい」ものに安心感を感じるのでしょうけど。
どうしても、シーレやフランシスベーコンに揺さぶられた若いころの感情が捨て去れないのでありました。
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