キース・フリントの死に想う
The Prodigyのボーカル、キース・フリントが亡くなった。
享年49歳。自殺。
初めてプロディジーの名前を知ったのは1997年のカニジャケのアルバム。
The Fat Of The Land、当時どこのCD屋さんに行っても試聴機にこれが必ず入っていた。世界で1000万枚を超えるセールスを記録。
ダンスミュージックをあまり聞かない僕もこのアルバムはiTunesのライブラリに入っている。ビートの効いた前衛的な音楽でありながらキャッチーでもある。
当時27歳の若者がこれを創りだしたのだから恐ろしい。
■美しさの裏側に必ずある悲しみ
2017年にはリンキンパークのチェスター・ベニントン、Soundgarden、Audioslaveのクリス・コーネルも自殺で亡くなっている。
ミュージシャンにとって自殺は身近。特に詩を書くボーカリストに多い。
歌は訓練すれば誰でもある程度歌えるが、誰もが詩人になれるわけではない。
人の心に訴えかける言葉を紡ぎ出せるということはそれだけ感受性が豊かだということ。
人の何倍も繊細だということはそれだけ生きづらいということでもある。
喜びだけ人一倍感じやすいのなら楽なのだが、世の中には悲しいことの方が多い。その悲しい出来事に人の何倍も消耗していくのである。
生きていくということは無数の悲しみに触れるということ。
推測の域を出ないが、彼らにとって耐えられない悲しみや苦しみがそこにはあったのだろう。
鈍感力という言葉があるが、それは鈍感な人のための言葉であって繊細な人には意味がない。悲しみを感じるなといっても感じてしまう。それは仕方のないこと。
第三者が安易に「気にするな」と言っても気にしてしまうのである。
そういう人のことを繊細と呼ぶのだ。
常人には理解できないほど1つのことに悲しみ、苦しむ。
だからこそ素晴らしい詩が書ける。美しい世界を描き出せる。本当に命を削って書いているのだ。
もし誰かの詩で心を打たれたならば、その先にある悲しい出来事に想いを馳せてみるのも悪くはない。
■美しい世界の住人
繊細な人はインターネットに悪口を書き続ける人々とは無縁の美しい世界に生きている。
英国王室のキャサリン妃、メーガン妃宛の多数の侮辱的なコメントに対して、王室側がSNSの行動規範を改定したというニュース。
自分が正しい、相手が嫌い、気に入らない、ただそれだけのことで執拗に相手を侮辱し続けることができる人。ある意味すごいなと思う。そのエネルギーをポジティブなことに使えたら人生は変わっただろうに。
同じ人間であってもこういうことが平気で出来る人もいる。それが同じ1つの世界で暮らしているのである。
自分が言われても傷つかないからといって、他人も同じ言葉で傷つかないとは限らない。
自分と他人は根本から違う。それを肝に銘じて生きていきたい。