否定のエネルギーが強すぎる人々
なぜおじさんになると人の批判が増えるのか?
1、人生に退屈している
2、楽しいことをしていない
3、自分が賢い、偉いと思っている
たとえ女子であってもこの中で二つ以上当てはまったなら、かなりおじさん度は高いです。気をつけましょう。
■スローガンよりも行動を
〇〇を絶対に許すな!消費税増税反対!
国道に向かって政治的スローガンを掲げている家があるんですけど、その近所を歩く機会があったので家の様子を見てみたんです。ゴミは散らかっているし、庭の草木は伸び放題。
「そんなことやる前に他にやることあるんじゃない?」
正直な感想です。
そんな人が何を言っても心には響かない。「その前にあなたの家を片付けろ」でおしまいです。
昔、バンドやってた知人が、
「オレたちはポリティカルなバンドだから、環境問題とか、政治問題とかそういう歌詞が書きたいんだよね」
っていいながら、吸ってたタバコを足元に落とし、靴で踏み潰していきました。
そんな人が何を言ってもやっぱり心には響かない。
その強烈な矛盾に気づいてますか?
思想は危険だなと改めて感じたし、正しさの追求は人に不幸しかもたらさない。
大きいことを言いたい年頃ってあるんですよ。僕にもそういう時期があったからすごくわかる。抵抗する自分に酔っているというか、強大なものを否定するのがカッコよく思えるんですよ。それで何かが変わるかって何も変わらないんですよ。
大きいことを変える人って口よりも先に行動しています。結局そこがすべてなんですよ。
言うだけなら誰でもできる。
スローガンを掲げるだけなら誰でもできる。
ゴミのポイ捨てに文句を言う人は多いが、そのうちの何割がその落ちている空き缶や吸い殻を自分の手でゴミ箱に捨てているのか?
実際に何かやらないと何も変わらない。それだけは確かなような気がしています。
■目指すべきおじさん
おじさんって議論が好きですよね。
自分は正しい、相手が間違っているって心の底から信じきっているから、間違いを必ず正したがる。
「いや、それは違うんだよ」
「あいつらはダメだ」
「オレらの時代はこうだったんだ」
本来どうでもいいことを、妙なプライドが邪魔して正さずにはいられない。流せない。
全ての他人とのいざこざ・ネット上のクソリプはそこから生まれるんですよ。
現実社会でもネットでもそれは同じで、議論好きな人とは距離をおくことで我が身を守ることができます。危ない人に遭遇する可能性を下げることは人生の質を上げることに直結します。
「あの店むかついたから文句言ってやったわよ」これ危険人物のサインです。
ツイッターを止めた最大の理由は、
実名でまともなことを言う人 vs 匿名で狂ったことを言う人
の議論があまりにも無意味だからです。
1人の賢人を2人の愚か者がねじ伏せてきたのが人類の歴史。まともな人ほど確実に損をするようになっている。
ただ議論が好きなおじさん、好戦的なおじさん、本当に好き放題やってます。
たとえ若者であったとしても頭が硬いならそれはもう立派なおじさん。
そういう人を見ていると、「ああ、この人たちは自分が本当に好きなことをやっていないし、好きなモノに囲まれていないんだなあ」と感じます。
ウチの場合は二匹の猫が家の中を走り回ったり、毛づくろいをしたり、ニャーニャー鳴いているのを見ているだけで僕は生きてて良かったなと感じるし、自然と笑顔にもなるし、幸せな気持ちにもなる。
強烈に何かを否定しようとは思わないですよ。
そんな暇があったら猫の毛が散乱している床に掃除機かけるわ。その方がよっぽど自分の人生のためになるし、猫も喜ぶ。
たまに見かける人の批判をしないおじさん。いったいどういう人物なのか?
多分自分に一生懸命で他人にあまり興味がない。
というか自分に一生懸命だと人を批判する暇がない。そんな気がします。
しかめっ面で生きていても何も生み出せない。それは令和になっても変わらないと思います。政治的スローガンよりも、マリオカート1レースの方がよっぽど生産的だし、楽しい気持ちになれる。
楽しいものに囲まれることは重要なことだなと痛感してます。
もし楽しくないなら、強制的に周りに楽しいものを置く。正しいものではなく、楽しいもの。これ重要です。
「正しさ」は時に人を狂わせる。
映画ボヘミアン・ラプソディのDVDを手に入れたので今日は映画鑑賞会です。
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