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伝説の雑誌「イカプラス」ができるまで その2
どうも、イカプラスの発行人の松下です。
無事、雑誌は発売され店頭やAmazonで販売されます。ゲリラ的に周りの人に頼んで書店で面だししてもらったり、私も行く先々の本屋さんで背表紙しか見えない陳列を勝手に、表紙が見えるように置き換える習慣をつけました。あと、学校の先輩方に名簿の広告をデータ化して、真っ黒な封筒に烏賊のシルエットをシルバーで印刷したイカプラス特注封筒で何百冊か送ったのですが、だれか覚えてくれている人はいるのでしょうか。
その後、どこへ行っても業界の人であればあるほど、どうやってやったの?なぜできるの?と聞かれます。私としては本当に世間知らずで、単にこれやったほうがいいのではないか、そうはいってもこうしたらできるのではないかというのを、真正面からコツコツしていたという感覚ではあったのですが、ここまでに皆に言われると、なんか大きな裏の力が発揮されたのではないかと思うわけです。そんな中、何かとお世話になっている人と話をしていたら、なんと「おーそういえば、お前困ってるみたいだったから、大手の書店のバイヤーに、仲間が雑誌の出版はじめるから、取次にいっといてくれって頼んでおいたぞ。」と軽い感じで教えてくれます。日本でも3つくらいに入る大手の書店の神田店のバイヤーとなんでその人が知り合いなのかという話はありますが(ここは書いちゃうといろいろなんなので詳しく知りたい方はお尋ねください)あーやっぱり、僕らの正攻法だけではのところで、頑張っているのがわかると縁のある人がどっかでなぜか助けてくれるのねと、いつもながらの強烈な運の強さに感謝しました。
その後、そんなに売れるわけではないですが、それなりに広告はつき、ぼちぼちとやっています。そんな中、イカ釣りだけでは心もとないという編集長たちから、増刊号を出しましょうという話があがります。季刊のイカ釣り雑誌だけでも情報集めも大変なのに、その隙間に増刊と思ったのですが、雑誌を定期的に出していると、増刊号という権利がもらえて内容はイカ釣りじゃなくてもいいんです。既得権がもらえるなら活用しない手はないということで、アジ釣りの増刊号を出すことになります。2冊同時制作進行は大変だったなぁ、、、。そんなことをしている中、また雑誌が作りたいという某日本一の東京にある大学卒の超優秀なひとが面接に来ます。釣りの雑誌の出版社だけど、イカ釣りじゃなくてもいいを拡大解釈してやってみるかとなって、出してくれた企画が、これまた早すぎるニッチを攻めた「社会貢献をするNPOや活動を取り上げる雑誌!」2011年の震災の後だったのでタイムリーな感じもあり、企画は称賛をもって受け入れられたので、広告も集まるだろうとこれまた今思えば無謀にも出版へ進みます、、、。
今考えると内容は結構よくて、愛知県の大村知事のあいさつ文もらえたり、市長や国会議員にもインタビューしたり、多くの今でも活躍しているNPOの代表などにも多く登場してもらって充実したものになっています。とはいえ、CSRという企業の社会的責任という概念は出始めたばかり、広告のチーム数人で広告獲得に進みますが、商品ではないイメージ広告を実績のない出版社の企画雑誌に出すのは、なかなかうんと言ってもらえず、表2表3、裏表紙は知ってる人から大きな会社を紹介してもらいつつ、そういえば自分で取ってきたんだなぁと今思い出しました。ほんと、この時の広告も奇跡のタイミングや、イカプラスの出版を含めて、ここでできたつながりが、その後の会社消滅の危機を救うということがあったりするので、「人生無駄なことは何もない」という話をするときの実例を、私はたくさん持っているんだなと思います。
雑誌/定期購読の予約はFujisan
日本の絆の名残があったのでリンク張っておきます。
その後は、広告を増やせば継続できそうだけど、どうしようと編集長たちと調整しますが、雑誌業界の衰退の波に地方紙という小さなマーケットの雑誌は成り立たないと最終判断し、足掛け3年くらい続いた雑誌の事業はクローズすることになりました。今思えば他の人には、ほぼ不可能と思われた「雑誌」を3年間にわたり発行し、つまりは出版社を3年間運営していたという経験は日本でもそんなに多くはないだろうとか、今でも「イカプラス」といえば、結構懐かしがってもらえるのは、私の人生を面白くする経験の1つとなっています。