自分でしないと意味がない
どうも、蜥蜴屋しげでございます。
卒業のことばで記事を書きます。
私の学歴は、小→中→高→大と割とありふれた流れでした。
その中でも私を形作ったのは大学時代が大きいです。
学業での卒業は、全体の中のモブって感じでさらりと流れましたが、部活動(アカペラ部)では副部長だったこともあり、少し偉そうに話しました。
内容:やってみろ
ですね。
自分では何も思っていなかったところを、先輩に指摘された。
自分の歌を録音して聴いてみると良いと言われた。
どうしたら上手くなるか聞いてみた。
先輩後輩ではよくあるやりとりですが、それを自分でやってみたのか。
知識だけあっても、結局自分でやらなければどうにもならないというか、何も進まない話。
聞くからにはやってみよう。
指摘されたから、自分では気にならないけども試してみよう。
録音してみよう。
全部やってから、取捨選択して欲しい。
なんとなく合わない気がしたからやってない。割と多いです。
できる気がしない。聞くだけではハードルが高く感じることがあります。
自分の声を聴くと挫ける。これも多いですね。
それは越えなければいけない壁です。
上手くなりたくないなら別にいいですが、少なくとも時間があって好きでやっているアカペラでは、その程度の壁を越えて挑戦して欲しいと思います。
そして、次に質問に来るときは、やってみたけど合わなかった、できないのでコツが知りたい、別の方法はないかと前回の指摘・回答から一歩進んだ質問が欲しいのです。
別に、私自身なんでも知っているわけではなく、知らないことの方が断然多いです。けれども、自分が知ってる範囲は教えたいし、自分程度は越えていって欲しいし、成長してほしい。
知識はあってもできなくちゃあ意味がない。
そんなことを言った覚えがあります。もっとも、文章で書く方が隅々まで表現できるので実際は、すごくもやっとした事を言ったと思いますが。
以上。
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