これが優しさ?
今朝は、ふと昔の私を思い出した。
私は、運動が苦手で、かといって勉強がすごく出来るわけでもなく、歳の離れた兄と姉の下に産まれた私は、いつも心配されてた。
裏を返せば、とても可愛がられて育ったのだ。
兄も姉も、高校卒業と同時に車の免許を取得。
当然のように、私もその流れになった。
私は【いらないなぁ】と。
母は免許を持っておらず、車に乗れたら仕事もスムーズなのにという思いからか、強く勧めて来た。
『どうせ取れないよ』『周りの迷惑になる』
兄と姉はそう言って、母を諦めさせようとしてた。
【取りに行くのは私なのに】
結局、母の希望が上回って、私は免許を取りに。
何においても一発合格はなかったものの、めでたく⁈免許取得。
決して運転が得意でもないし、上手いわけでもない。
それでも、母の仕事に同行したり、就職してからは通勤にも使った。
最近でこそ、ナビがあるから、なんとかたどり着けるけど、昔は地図を見ながらだったから、私には不得意が重なる。
地図と運転。
遠出なんてする気も起きない。
家の周りで、知ってる道なら。
そんな日々。
でも、結婚して子供が産まれて、免許は大いに役立った。
そして、私も成長してた。
必要に迫られて、行ったこともない場所へ、ナビを頼りに毎週のように通うこと1年。
自信がついたのか、先日は高速にも挑戦。
【乗れた❣️】
昨日、私が行きたい場所だけど、道がわからなくて不安だった。
だから、夫を誘った。
夫は快く着いて来てくれたけど、ナビの設定もせず『あっちの方目指して行けば着くから』と。
往復運転した私に
『もう今までのママと違うから、高速も乗れたし、安心して乗ってられるよ。自信ついたんじゃない?』と。
たしかに、今までなら「乗せて行って」とお願いしてたと思う。
昨日は「私が運転する」と、当たり前のように思ってた。
母は、私のひとつひとつに
『この子が自信を持って生きていけるように】
そう、願ってくれてたのでは••
免許はいらないと言う私の主張を聞いていたら、私のこの自信は生まれてなかったかもしれない。
兄と姉は
『もし、事故にあったら。他人を巻き込むようなことになったら。自分で責任を負えるのだろうか?』
そんなことまで考えてくれていたのもしれない。
私はたくさん愛されてるし、私の周りにいてくれる人たちは、私を成長させるために、いろいろしてくれてる。
私はそれを【いじわる】だと感じてきたんだ。
だから、拗ねていじけて、私の言うことを聞いてくれる人のそばに居たかった。
そんな拗ねていじけてる私をも、愛してくれて、育んでくれる。
無条件の愛。
あぁ、なんでも丸ごとドーンと来い‼️
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