"殺人小径"
今日は海に行ったのですが、そこで地元の人から聞いた怪談話を紹介します。
命からがら逃げ出した先は線路の下の小さなトンネルだった。人呼んで「殺人小径」。海沿いの小さな町の噂にしては、やけに大仰な名前だと思う。
そもそも、この小径で死体が出たなんてのは聞いたことがない。家も近くにあるし、人殺しには適していないだろう。自殺だとしても意味不明だ。トンネル内は緩い傾斜になっているだけで見上げるほどの高低差はないし、壁を這う蔦は縄をかけるには心許ない。海の側なのだから、そっちで事を済ませたほうが合理的なのは火を見るより明らかだ。
そんなことを考えていると、私から見て出口の方に、人影があることに気がついた。強い雨でよく見えなかったが、やけにニヤついた顔でこちらをじっと見つめる、中肉中背の男がいた。私も同じように見ている内に、段々とイラついてきた。
なんなんだ、こいつは。明日生きてるかどうかというこっちの気も知らないで、無駄に口元を吊り上げやがって。気持ちの悪い。私はイラつきが抑えきれなくなり、気づけばその怪人の顔を殴っていた。ところが、そいつはちっとも動じていない。むしろ、口角がさらに吊り上がったような錯覚さえした。
続けて何発か顔を殴ったが、依然ぴくりとも動かない。声も発さない。「こりゃ面白い」そう思った私は、懐から短刀を取り出し、脇腹の辺りに刺してみた。結果は同じだった。喉笛を掻っ切っても、目を抉っても、ニヤケ面は止まらない。常識的な範囲で出血はしていたが、血の持ち主はどこ吹く風というようだった。
どうにかしてこいつのニヤけた顔を歪ませたい。イラつきは消え去り、そんな気持ちに心は支配されていた。しかし、依然ぴくりとも動かない。うーむ、音が出るから余り使いたくなかったが、仕方ない。そう思った私は、懐から拳銃を取り出し「ドン!」と脳天をブチ抜いてみた。するとどうだろう。この能面じみた怪人はようやく倒れ、脳漿を地面にぶち撒ける———なんてことはなく。やはり全く動じていない。この時点でニヤケ面は頂点に達し、辺りの薄暗さによって浮かんだ白い歯と合わせて、三日月が目の前にあるようだった。
もはや、どこまでこいつは耐えられるのだろうという好奇心は、恐怖に変わっていた。声も上げず表情も変えず、ただ無感情な笑みだけが張り付いたように浮かんでいる。化け物だ。化け物が、目の前にいる。私は逃げるように何度も引き金を引き、挙句の果て、本当に逃げ出した。怖い、怖い、怖い。この世のものとは思えない。この世に喉笛を掻っ切っても脳天をブチ抜いても死なない生き物なんて、いるはずが———「ヴゥーーーー!」
思考を引き裂くクラクションと、視界を塗り潰すヘッドライト。次いで衝突音が鳴り響くと同時に、私の意識は彼方へ消えた。
…………人呼んで「殺人小径」。次は毒殺か、それとも縛り首か。死を知らない化け物が、線路の下の小さなトンネルで、殺されるのを今か今かと待っている。
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